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朱鷺の“人生七転び八起き”

「自分」は過去の集積 

2014年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

「自分なんてものはない」と言いながら・・・でもそれを「見る私」が依然として残っているのではないか、「じぶんがない」なら、自分がないと意識している自分は、何者? と問う。自我を落とす。自我が一掃される。ということに、こだわる人あり。ああたね。自我を一掃することは、問題ではない。と〜思うんですけどね。つまり、「自分はない」のちは、自我があっても気にならない、気にしなくなる、自我に流されない。だけ。あっても問題にならない・・・となることが、「見る私」が依然として残っているコトを超えること。でしょう。そこは一気に超えてしまわないと、エゴのトリックにはまります。何か問題を残すことが、エゴの必死の抵抗なのですね。たとえば、過去のことを思い出して、痛くてしかたがない・・・ということが以前にはある。それを何度も思い出して「痛い、苦しい、悔しい、無念だ」とすることがエゴの強化なのでして。でも、忘れたわけではないのに、今、思い出しても痛くない。なんてことがありますよね。それは、もう気にならない。あったとしても問題にならない状態でいるから、でしょ?それは、思考は思考の働きが残るように、自我も自我の仕事は残っている。ということなのだわ。

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