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たかが一人、されど一人
祖母、そして今日は寄席
2014年12月12日
テーマ:テーマ無し
我が家の婆さん、いつも孫に好かれていることが自慢だ。その筈だと思う、亭主のこちらより孫が大事で、孫のことがいつも優先されているように思って僻んでいる己でもある。明日はこちらが同期会で夕飯の支度の必要が無いときて、早速幼稚園の孫を連れて実家に赴くとのこと。それが決まって先日のこと、娘が孫の髪の毛を整えようとしたら孫が曰く「お祖母ちゃんに切ってもらうから触らないで。」と断られたと聞いたのが又自慢の種だ。これは互いに結構なことだと思う。小生も子供時代は正真正銘大変なお祖母ちゃん子だった。兄弟5人であったけれど、とびぬけて可愛がられたのには理由がありそうだ。昭和18年の夏だったとすれば、こちらは未だ満3歳一寸の時のことだ。当時熊本県に奉職していた父が戦地の司政官(パソコンの変換が出来ない程古い概念、即ち占領地域の行政官)としてバリ島に出征することになり、母は子供連れて故郷の長の実家で留守を預かることになった。当時兄二人は小学生、すぐ下の弟が生まれたばかりの4人兄弟である。熊本から長野も今のように新幹線なり飛行機が利用できるわけではない。汽車で関門トンネルを潜ってのかなりの長旅となる。母も引っ越しの段取りに加えて乳飲み子を抱えての移動は大変だったと思う。その応援に長野から祖母が駆け付けてくれて、あらかた整理の目途がついたところで一足先に長野に帰り、今度は受け入れの段取りをすることになった。そしてその序でに、幼児であっても乳離れはしている小生を先に連れて行くことに決まったらしい。母親と離れてどこかに行くなんてことはもちろん初めての経験。家の玄関先で大泣きして、母と祖母をてこずらせたことを未だに記憶しているくらいだ。それでも何十時間後に長野駅に到着して、人力車なるものに乗せてもらい、赤い毛氈で包んでもらった時には大喜びしたことも覚えている。祖父は既に亡くなっていたので、それから数日は毎晩祖母に抱いて寝させてもらった。家族が合流した後も、母は4人の子供を抱えて何かと家事に追われ、中途半端な年齢の3番目までは手が回りかねたのだろう。小生は何かにつけ祖母の世話になった。戦後、昭和22年に父が復員してからは又別の所帯になったこともあるし、こちらが小学生になったこともあり、戦時中程には祖母の世話を焼かせることが少なくなっていったが、祖母の家へのお使いは小生に決まっていたようなものだ。用が無くてもこちらから頻繁に祖母が住まいしていた松代(現在は市内であるが、当時は市内から3里も離れた田舎の佇まい)に遊び行ったし、祖母も頻繁に我が家に来て、小学生の小生を映画や演芸に連れて行ってくれたりしたものだ。そんな中で特に印象深いのが、ある小学校の講堂で行われた演芸会に落語を聞きに連れて行ってもらったことである。戦後の暗い雰囲気は子供には関係ないことであったとは言え、未だラジオも満足に聞けない時代のこと、あの楽しさは格別でもあった。ずっと後年になるが、こちらが大学生になって東京に住むと、祖母が訪ねてくれたことがある。その時は早速一緒に新宿末広亭に行って楽しんでもらい、喜んでもらえたのが今となればいい思い出だ。その後も時折憂さ晴らしに寄席に行くこともあったが、ここ何十年と無く寄席に行ったことが無い。池袋にも池袋演芸場があるのは知っているし、その真ん前の碁会所には何年も通い続けながら、一度も入場しなかった。婆さんが孫自慢するのを聞いて、こちらもふと祖母を思い、そして急に寄席が懐かしくなった。久し振りに寄席にでも行ってさっぱりしたくなって、近くにありながら行ったことの無かった池袋演芸場に行き、半日を愉快に潰すことが出来た。ただでさえ、100席も無いと思う小さな小屋で、入りは半数に満たなかっただろう。約4時間の興業で昼の部の取りは桂歌丸さんの弟子で歌蔵さん。噺家は揃って、自ら古典芸能ではあるけどピンキリのキリと謙遜するが、なかなかどうして大したものだ。老人割引2千円で、観ようと思えば夜の部も入れ替え無しで観ることができる。安いものだ。
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