メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

地球一周の旅から10年(22) タヒチ 

2014年12月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 太平洋上に対照的な島が二つある。一つはタヒチであり、一つはイースター島である。イースター島にとって表現は
良くないが、まるで天国と地獄のように対照的な島である。むろん天国のような島がタヒチであって、地獄(表現は良くないが)
のような島がイースター島である。

 今も謎多き不思議な島、イースター島を後にして、トパーズ号はタヒチへ向かった。早朝の沖合はるかから見た
タヒチ島は緑濃き島であった。タヒチ島のパペーテと言う港町は良く整備されていて港から見える街並みも実に美しく
洗練された街であった。

 フランス領タヒチは、ゴーギャンの絵であまりにも有名な観光地である。荒涼とした裸の島「イースター島」に較べ
何とも豊かさを感じる島であった。そして如何にも南太平洋に点在する亜熱帯や熱帯の島らしい島であった。
 
 実はイースター島も火山噴火によって出来た島であったが、この島もそして沖合に黒いシルエットとして見える
モーレア島も火山噴火によって出来た島であった。そのモーレア島は、まるでディズニー映画に出てくる魔法の国の
ように尖った山が特徴であった。

 私達が入港した日も朝日がさんさんと降り注ぐ、いかにも南国らしい光あふれる朝であった。この港にはトパーズ号
のような白い船体が良く似合う。私たちが入港した時も沖合のモーレア島に向けて白い船体のスマートな船が出ていく
途中であった。そして、出て行った船と入れ替わるように同じ船体の白い船が帰ってきた。タヒチ本島とモーレア島を
行き来している連絡船であった。

 私達は入港手続きが終わると、それぞれの団体に分かれ船を降りた。トパーズ号が着岸した桟橋では船内で人気者だった
美人姉妹が踊っていた。この姉妹はロシア人らしく二人とも食堂で働いていた。如何にも南国の空気に触れ、浮かれていると
言った風情であった。私達と一緒に降りた若い船客たちも踊り始め、私の家内もその輪に加わった。

 湾内を覗き込むと、魚がいっぱい泳いでいた。サンゴ礁などに住んでいる魚たちだ。船舶が多い湾内ではあったが
海水は澄み切っていた。青い空と青い海、この景色を見て興奮しないものなどいないはずだ。

 私達は桟橋伝いに先ほど眺めていたスマートな船体の連絡船に乗り込んだ。船は意外に大きかった。乗り込むと
間もなく出発した。沖合のモーレア島に向かっていた。タヒチ島本体が遠ざかっていく。一方、モーレア島は、黒い
シルエットから一変して緑豊かな島へと姿を変え始めた。船内は旅行客やレジャー客でいっぱいであった。白人も
いればポリネシア人もいる。私たちのような東洋人は私達以外にはいなかった。

 火山島特有の爆裂後を残す尖った山のモーレア島、しかし裸の島だったイースター島と比較して何と緑豊かな
島であろうか。尖った峰の先端まで濃い緑に覆われていた。山裾を飾る多くの木々はヤシなどであった。

 私達は連絡船を下りると港の出口で待っていた大型バスに乗り換えた。これから島の裏側に当たるホテルまで
移動することになっていた。島の周辺は広大なサンゴ礁であった。沖合はるかに海岸線があって、そこには太平洋の
荒波が打ち寄せていた。

 私達が泊まることになっていたホテルは海岸すれすれにコテージ風の部屋が並び、更には手入れの行き届いた庭に
コンドミニアムのような瀟洒な建物が立ち並んでいた。むろん海岸に建つコテージの方が料金も何割かは高い。

 私達が案内された部屋はいかにも南国風と言った開放的な部屋であり、調度品やベッドなど美しく整えられていた。
今宵一夜だけの宿泊ではもったいないような豪華な部屋であった。ベッドの上には採取したばかりのハイビスカスの花が
さりげなく置かれていた。文句なしのお出迎えであった。

 早速、水着に着かえて海岸に出た。海で泳ぐのは二度目であり、水着に着かえるのはトパーズ号のジャグジー以来の
事であった。海岸には小さな砂浜があり、砂浜の沖にはサンゴ礁があった。私は家内にボートを借りて沖合に出てみようと
提案した。本来が金づちの家内は頑なに拒むのでとうとうボートは諦めた。

 ボートで沖合に出ればきっと美しい魚たちに出会えたに相違なかった。しかし湾内のコテージ下にも熱帯魚はたくさん
群れていた。鮮やかな色をした美しい魚たちであった。部屋から持ってきたパンを餌にして差し出すと、その手から
パンを奪っていく。パンがなくなってもなおも手をつつく。本当に美しく可愛い魚たちであった。

 また、水面に餌になるようなものが浮かんでいると、どこから集まって来るのかと思うほどの小魚たちが集まってくる。
そして餌に群がり塊となって水面に盛り上がるのである。ここは想像を超える豊かな海であった。

 一方、庭の方に目を転ずると、そこは陸上の楽園だった。高くそびえるヤシの木の先端には常に海風が吹いていて
そのヤシの木へ尾の長い鳥たちが飛んでくる。少し背の低い木には南国のフルーツがごく普通のように実を付けている。
ここの鶏はホテルが飼っているのだろうか。色とりどりのブーゲンビリアやハイビスカス、生け花でしか見たことの
ないような植物が至る所で花開いている。この島はまさしくゴーギャンが愛した島だった。

 街中に郵便局があった。街中と言っても色んな店が並んでいるわけではない。ここの郵便局は単に郵便物を扱うだけでなく
両替なども行っていた。島の中にはなくてはならない数少ない公共の建物だった。私達はここから郵便物を発送するために
この郵便局を訪れた。郵便局に来る島の人はみんな裸足であった。ここでは裸足の生活が当たり前の生活のようであった。

 郵便局への行き帰りに見た民家も色とりどりの花が咲き、南国のフルーツが当たり前のように実を付けていた。
ヤシの木にはヤシの実がたくさん実を付けており、その下には枯れ落ちたヤシの実が無造作に転がっていた。
中には既に芽を吹き始めたものもあった。その根元には夥しい穴があり、びっくりするほど大きなカニが出入り
していた。何もかもが驚きであり、南国ならではの発見であった。

 実はホテルの入り口には、大きな石像が置かれていた。火山噴火で出来た岩を削って作ったもののようであった。
イースター島ほどの石像文化ではなかったが、ポリネシアに広く分布している石像文化がここにも残されていた。
像の姿かたちはイースターほど特徴あるものではなかったが、如何にも素朴な姿かたちをしたものであった。

 この島の沖合からは常に海鳴りのような音が聞こえていた。サンゴ礁の先端部を洗う太平洋の波がぶつかる音で
あった。夜は屋外にヤシの葉を葺いただけの開放的な建物の中で豪華なフランス料理を味わった。ここはフランス領で
あった。そう言えば私達のホステス役をしてくれた女性はフランス人と結婚し、ここで働いていると言っていた。

 夕食の後は三々五々散らばって、それぞれの時間を過ごした。私たち夫婦はトパーズ号の中で知り合った女性二人と
ホテル内のバーで二次会としゃれこんだ。南国の夜は静かに更けていく。夜更けて吹く風がこれまた心地良かった。
この島は蚊もいないようで、その上湿度も低く、とても過ごしやすかった。やはりここは天国の島であった。

 この天国のような島にも暗い歴史は残されていた。それは第二次世界大戦以降の事であった。先進国は争って核開発を
行っていた時代であった。フランス領の環礁でもフランス軍によって何度となく核実験が行われたのであった。
周辺地域の島々に住んでいた先住民たちの多くが被爆した。

 また軍事物資の荷卸しなどに携わっていた人なども原因不明の病気に悩まされることになった。今もなお後遺症に
苦しんでいる人がたくさんいるらしい。本国フランスに保障を願い出ても未だにその回答は出されていないとのこと
であった。全ては軍事機密と言う深いベールに閉ざされたままである。日本での特殊秘密保護法等と言うものが作られ
ますます軍事力が強化される中で、このような悲劇がいつ生じてもおかしくはない。

 私達は一泊二日の旅を終えてモーレア島を後にした。タヒチ本島は、ほんの少し歩いてみただけである。その歩いた
場所は、どこにでもあるような近代的な街であった。時間さえあればもっとタヒチの良さを味わいたい、そんな思いを
胸にタヒチを後にした。

 次はいよいよオーバーラウンドツアーを予定していたニュージーランドであった。ここでは名だたる氷河見物が大きな
目的のツアーであった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ