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地球一周の旅から10年(23) イースター島からタヒチへ 

2014年12月20日 外部ブログ記事
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 一気にタヒチの思い出話に飛んでしまったので、ここでイースター島からタヒチへ至る長い旅に付いて書いておこうと思う。
イースター島を後にしたのが12月29日、以降は年越しとお正月ムード一色となった。

 そしてタヒチへ着く前に12月31日を迎え、更には新年を迎えた。実は800人を超えるような船客がいれば、まるで
小さな町が一緒に旅しているようなものである。ここは陸上とは隔絶された異空間が存在している。全国から船旅に
集まってきた見ず知らずの者が一緒に旅することによって次第に打ち解けていく。

 そして、あまりにもなれなれしくなるあまり遠慮がなくなって、ついには喧嘩をして仲たがいしてしまう。こんなことが
どこまで行ってもあるのが人間世界であるが故の面白さかもしれない。行事を行う際の主導権争いなど見ていると、とても
滑稽なくらいだ。

 12月31日は早朝から慌ただしかった。夜に行われるカウントダウン、そして年が明けてのお正月準備、ここ船の上も
陸上と変わらない年の瀬の慌ただしさがあった。いや、それ以上だったかも知れない。

 しかし、よくもまあこれだけのことを考え行えるものだと思えるほど、その準備は多様であり完ぺきであった。それまでにも
幾つものイベントが行われてきたが、その都度、限られた材料と限られた道具(ミシン)などを使って多くのものがデザイン
され作られてきた。その集大成とも言うべきものがお正月のお茶席の準備であった。

 私は私で何となく落ち着かなかった。夕方に開かれる紅白歌合戦の大トリとして歌うことになっていたからだ。つまりは
二度行われたのど自慢コンクールで二度とも鐘三つで文句なしに出場者の一人になっていた。その私がまさか大トリとは。
私の歌う歌は紅白歌合戦にふさわしく北島三郎の「風雪ながれ旅」であった。紅白に出場するもののインタビューなどが
あって、トパーズTV(船内放送局)からのインタビューがあった、

 この日の紅白では男女に分かれて行く組かのグループや個人が出場した。そして審査の結果、私達男性陣が優勝したので
あった。その日の審査員の中には私の家内や仲良くなったマヌーさんが入っていた。審査員に選ばれた人も実は船内の
有名人たちであった。家内はトパーズTVのスタッフでもあった。実はこの日、夫婦して審査員と出演者を演じたのであった。

 この頃、家内は船内のエアロビのインストラクターとして多くの人を指導していた。いわばエアロビの先生として多くの
仲間に囲まれていた。それだけでも有名人だったのだが、色んな行事に顔を出しては若い子たちと楽しくやっていた。
そんなわけで船内での行動はほとんど別々だった。私達が夫婦であることを知らない人も大勢いた。ごく親しい者たちだけが
夫婦であることを知っていて、彼女たちの船上の父や母になっていたのであった。

こうして年越し、お正月と陸上では考えられないくらい様々な行事が行われ年末年始は過ぎて行った。その中でもカウントダウン
そして年明けのお茶会は最大のものであったろう。特にお茶席では日ごろ滅多に顔を合わすことのない高級船員(外人)達も
招待され、華やかな茶席となった。

 この頃になってやっと海外のニュースが入ってきた。その中で最大のものはインドネシアのスマトラ島沖で発生した大津波の
ニュースであった。詳細が分からないだけに、余計に想像が膨らんで、小さな紙切れに簡単に書かれた掲示物の前は黒山の
人だかりであった。まさにこの船が通り過ぎてきた広大なインド洋海域を襲った大災害であった。

 実は2004年と言う年は、実に天災の多い年であった。私がそれまでに体験したものとしては、大きい方の台風を
二度も体験した。一つは8月の台風であり、天災の少ないと言われた瀬戸内海沿岸地域が高潮の被害を受けた。そして
二つ目は私達が旅立つ直前の台風であった。この時にも各地に大きな被害があった。地元の由加山系にも大雨が降って
各所でがけ崩れが生じた。

 そして出港直後に起きた新潟県の山古志村を中心とした大地震であった。そしてスマトラ島沖の地震とそれに伴う
大津波、何という年であったろう。しかし運命の2004年は私が60歳の還暦を迎え、更には地球一周の旅に出ると言う
私にとっても忘れえない年になったのである。

 人生には必ず節目がある。そして飛躍もある。それが私の経験値から来る確信のようなものである。それは甘んじて
受け入れなければならない自分自身が描いた設計図によって作られたものである。般若心経流に解釈すれば、全ては
泡沫(うたかた)のようなもので、他人とは関係なく自分自身の体験として光のように一瞬にして過ぎ去っていくものの
ようである。

 この年の悲惨さとは関係なく、私の場合は客観的に見える立場に居て、これらのニュースを見聞きしていた。私自身は
退職後の経験したことのない時間を慌ただしく過ごし、いつの間にか船に乗って旅に出ていたような感じであった。
そして浮世離れした実に楽しい竜宮城のような生活をしていたのであった。そして一緒に旅に出た家内も同じように
風変わりな生活を満喫していた。私より何倍もこの生活を楽しんでいたのかも知れない。

 人生は宛がわれたものではなく自らが作り出すものである。受け身になると楽しいことも楽しめなくなる。自分で選んで
そうしたものであれば、例えそれが良い結果でなかったとしても納得できる。人生は何度でもやり直しが出来る。それが
出来るのは自分自身でしかない。受け身の考えだとそれが出来ない。発想を変えれば見えなかったものが見えてくる。
それが人生と言うものであろう。一つのことに固執していては進歩がない。新しい展開は見えない。

 この旅の詳細は私のホームページを参照願いたい。アドレスは以下のとおりである。かなり詳しく書いてある。
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/yabuki2/pi-subo-to/e1tikyuuissyuufunenotabi.html

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