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人生いろは坂

活弁口演 

2015年09月15日 外部ブログ記事
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 つい先日、落合というところで活弁を行ってきた。落合というところは、その地名通り
大きな川が二本落ち合っているところだそうで、その昔、川船輸送が盛んであった頃は
重要な拠点の一つだったらしい。従って、町の片隅の道路脇に高瀬舟を形取った石の椅子
のようなものが置かれていた。

 その昔、陸上交通ではなく海や川が、そして運河が輸送手段に使われた時代があった。
その時代、船が着く場所は、それぞれに賑わっていた。川の駅だ。人の流れも物の流れも
そして、それに伴う文化の流れも今とはおおよそ異なっていた。

 岡山県下には一級河川が三本、それぞれに川船輸送の手段があり、それらは瀬戸内海まで
通じていた。川の流れを縦の線にすると、それらを繋ぐ横の線は言う馬でもなく瀬戸内海である。
瀬戸内海は塩の流れが速く、かつ複雑だ。当時の帆船では容易に航海することは出来ない。
そこで潮待ち風待ちの港が必要になった。福山市の鞆であり、岡山県の下津井や牛窓である。

 その昔、これらの港は殷賑を極めた。それが私の勤務地である下津井だ。四国への玄関口として
また、瀬戸内海航海の主要な湊として欠くことの出来ない場所であった。下津井四ヶ浦と言って
下津井には最適な湊が四カ所もあった。

 それらが一様に瀬戸内海に面して大きく開かれていた。だから下津井湊は出やすく
入りやすい湊だと唄われていたのだ。

 寄り道がずいぶん長くなった。落合は川沿いに開かれた町である。そして川船の行き来が
盛んであった頃は、大いに賑わった町でもあったようだ。この地に私たち夫婦は招待された。
主催は町であり「おちあい白梅大学」という高齢者の方々の学びの場であった。

 話は、つい最近にあり、急にまとまった話であった。と言うわけで郷内での活弁と一日
置いての落合の活弁となった。活動弁士と言っても私たち夫婦はあくまでアマチュアである。
むろん専業にしているわけでもない。

 何しろ偶然すぎる出来事の中から、にわか活弁士になったことがきっかけであった。以来、
頼まれればどこへでも出かけている。今回の演目は私たちのデビュー作である「豪傑児雷也」と
「子宝騒動」であった。

 会場には180名もの高齢者を中心とする方々が来られ、実に大盛況であった。そして
大いに喜んでもらえた。会場は結婚式などを行う多目的ホールであり、音響設備が良いと
実にやりやすい。会場の反応が良いのと音響が良いのと両方で、こちらも楽しませて貰った。

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