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月の家円鏡さん、ご逝去! 私の人生、ど真ん中の落語家さんでした。 

2015年10月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

落語家 橘屋圓蔵さんが、
お亡くなりになりました。
享年81歳。
宿命とは言え、私の人生のど真ん中を、
笑いを送り届けて下さった方・・・悲しいです。


圓蔵さん、
1952(昭和27)年に、七代目橘屋円蔵さんに入門、
1965(昭和40)年に真打ちに昇進、三代目月の家円鏡を襲名。


昭和27年は、私が、小学校3〜4年生、
ラジオからは、菊田一夫原作、ドラマ「君の名は」が流れ、
戦争で離れ離れになった春樹・真智子が再会し、
金曜日の夜8時は、女風呂ががら空き、
多くの感涙を呼び、おマセさんだった小学生の私も、感涙してました。
街には、春日八郎さんの♪お冨さん♪が流れ、私も
分かった風な顔をして、熱唱し、踊り、手拍子してました。

1965(昭和40)年と言えば、
東京オリンピックの翌年、
新幹線列車が走り、街は高度経済成長まっしぐら、私は、
お巡りさんになって、3年目、夢多き青春期でした。
円鏡さんの、黒縁眼鏡で、キンキン声とすっとぼけたお笑いは、
今も、強く記憶に残っています。
時代は、カラーテレビの時代、
我が家でも、私の給料で、カラーテレビが買えて、
少し苦労が減って来た、
明治生まれの母親が、ゲラゲラ笑って居ました。



こう考えてみると、
圓蔵さん、と言うより、
円鏡さんは、私の人生のド真ん中・・・!!!
9歳上の兄さんです。
宿命とは言え、
81歳、心室細動のため、ご逝去されました。
寂しい、切実、でも、現実です。
円鏡さん、どうか、
天国でも、すっとぼけた芸で、
笑いの渦を巻き起こして下さい。 m(_ _)m

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