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厳島神社 萩反射炉・・萩市 

2015年10月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

厳島神社 萩市


明神池を挟んで厳島神社


鳥居前より
貞享三年(1686)萩藩2代藩主毛利綱広が、毛利元就が信仰していた安芸の厳島明神を勧請し、これに因んで明神池と呼ばれるようになりました。


池の北側に弁財天が祀られていることから、昔は弁天池、また、藩主の茶室が建てられていたことから、御茶屋の池とも呼ばれていた。

入口鳥居

                由緒
             拝殿





拝殿前の萩狛犬



















天保2年(1831)奉納
牙までしっかり彫られています





















本殿

明神池には多種多様な魚がいます




マダイ イシダイ


フグ メジナ?

通してくださーい






萩反射炉
萩藩は安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れますが拒絶され、反射炉のスケッチのみを許されます。


現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。


オランダの原書によると反射炉の高さは16mですから、約7割程度の規模のものになります。


また、萩藩の記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に試験炉が操業されたということだけであることから、萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試験炉であると考えられています。


反射炉が現存するのは韮山(静岡県)と萩の2ヶ所だけであり、わが国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡です。 









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