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人生いろは坂

心の時代 

2015年12月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先に文芸評論家の高橋源一郎さんが、NHKの朝のラジオ番組で自分自身の不思議体験を
語っていました。私が聞いただけでも二度もの体験談でした。

 ご自身の体験談は、長年お会いしたいと思っていた人物に、相次いでお会いすることが
出来たという不思議体験でした。

 実は私自身もずいぶん前から良く似た体験を繰り返すようになっていました。最初の頃は
単なる偶然の積み重ねくらいの感覚で受け止めていましたが、その体験が時間を置くことなく
実に直截で、今会って相談したいことがあるのだがとか、今日中には電話しておかなければと
思っていたようなことが、その場で実現するようになって、実は驚いています。

 今は、その体験も数重なり、不思議とも何とも感じなくなってしまいました。今は偶然では
なく、世の中の仕組みは、そのようになっているのが当たり前のことなのだと思うように
なりました。そして、その不思議体験は、絶えることなく、今も続いているのです。

 不思議体験は、人に会うと言うことに止まりません。欲しいと思っているものがいつの間にか
手に入るようなことも少なくありません。どうやら人や物と言った特定のものに止まらないよう
です。

 こうした体験を振り返ってみたときに、いったい、いつから始まっていたのだろうかと記憶の
糸をたぐっていくと、どうやら子ども時代から同じような体験が始まっていたことに気がつきました。

 私は色んなものの収拾が好きで、それこそ様々なものを集めていました。あれが欲しい、あんな
ものがあったら良いのになあと思い始めると、不思議に次から次へと手に入るようになるのです。

 むろん、手に入れたものの中には、後になって取り返されたりしたようなこともありましたが
こうした体験は、とても偶然ではなかったような気がします。

 それらの体験は、自分自身の意識がその方向に集中されることによって気付かなかったことや
目に入らなかったようなことが、はっきりと見えるようになったと言うことも背景にはあるでしょう。

 しかしながら、数多くの体験を振り返ってみたときに、とてもそれだけでは説明しきれないような
ことが数多くあるのです。

 近年になって「引き寄せの法則」と言うものに接する機会がありました。ある言葉を繰り返すと
念ずれば通じるようなことが起きるようになると書かれていました。しかし、そのような法則が
なくとも人間には本来、そのような能力が備わっているのではないでしょうか。

 人間の意識が世界を作るのではないかと考えています。今の余は、信仰心が偏り、乱れた世に
なってしまいました。本来、人間は自然の一部として生きてきました。自然を敬う心もいつしか
失われてしまいました。

 そのような心では、目に入るべきものも入らないし、手に入れたものの指と指の間からこぼれて
しまいます。私たちは深い精神性の中で生きていることは間違いがないようです。その精神性の
表れが具現化したときに、実は、引き寄せで手に入れることの出来るものであり、幸せなのかも
知れません。

 ともあれ、どうやらこの世の中の全ては、それぞれの心が映し出したものだと言えるようです。
澄んだ心で心穏やかに暮らしていれば、世の乱れも治まり、病も関係ない世界を手に入れることが
出来るのではないでしょうか。

 しかしながら、地球人は、みんな心を病んでいます。持って生まれた素晴らしい魂を、心を失って
います。物や金ばかりに目が行き、本来失ってはならない魂や心、そして「愛」までも、どこかに
置き忘れているような気がしてならないのです。

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