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エキゾチックな横浜歩き 

2016年01月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:散策&ウオーキング

寒さを感じながらも昔に戻れた気持ちの場所と思う。
月一回の知れた仲間のウォーキング開催は横浜市石川町からでした。

今回は街の歴史を堪能する、関東大震災時の助けと成った大谷丸観音菩薩に会釈し案内板を読んで心に残した。


横浜は坂道が多くある、ウォーキングとは思えずハイキングをしている、イタリア山庭園に入る、入るのに靴を脱がないと入れなかった、紐を取るのに面倒だ、トレッキングシューズで来た。


コースはカトリック教会に、横浜大聖堂を1862年に作られる、大震災で倒壊したその後1933年再建され現在に至る。聖母マリアが明治元年フランスから送られた物。

歩きは横浜市街地を一望できる場所百段公園に立ち寄りました、101段有った浅間神社も震災で崩落した。


旧家石川宅に立ち寄った、横浜村の名主、石川町駅の名前は此の名前から取った様です。

時間は未だ11時を回ったばかりですが都合により此処でお昼ご飯と成った、実は雨も予想が有ってレストランでも良かったが他かがお昼なので格安で食べられる所を予約しておいたのです。


場所は男子禁制?だったかも、フェリス女学院です、何故に入れたかは予約した人にしか分からない。
カフェテラスぽい場所で500円のワンプレートが出される、食事タイムは30分でした。


無理なお願いに今回だけですよときつく言われ後にする、登り有りの続きで元町公園に行く、ジェラール商会?が横浜居留地へ水を供給した、この方は水屋敷、
瓦工場、大正時代活動撮映にも利用された場所。


そして有名な外人墓地に歩く、幕末以後渡来した外国人の墓地として広がる、4800名が眠る。隣に資料館がある、入って見れば納得の物が得られる。

外人墓地の前に又してもそうだったのか、横浜地方気象台がある、何が有名かと見れば日本に二台しかない電気時計が正面に鎮座している。
時間は12時で止まっている、その時計は大きい。

大きなのっぽの古時計なのだ、もうお分かりでしょう
童謡にも出て来る時計がこの時計です、大正15年生まれ昭和元年の物てされる。

平井堅の歌で再び脚光を浴びた、足は丘から下ったアメリカ山公園に向かう、
全国初立体公園が出来た場所、人形の家、青い目の人形などが目に留まります。


そして尚下ると庶民的なパン屋さんに気か付く、創業は1888年とある、ウズキパンと見られました。開港時はフランスパンが主流でしたが、居留地に居た人々はフランスパン、イギリスパンでは何方が良いかと成り現在はイギリスの職人から受け継ぎウズキパン屋が引き継いだ。

食パン発祥の地、(イギリスパン)この店から広まったようです、店内には色んなパンが並べられてますよ。

もう一つ見る物が有った、アメリカへ送った桜、
ポトマック河畔の桜ですがこの地に戻り桜が植えて有った。シドモアの桜として有った。


歩きは正面にランドマークタワーが聳える広い公園に来た、山下公園である、関東大震災時の瓦礫を埋めて作られた公園は今は憩の散策場している。
豪華客船が停泊もある、大桟橋、停泊している氷川丸などカモメと戯れる事などが楽しめる。

暫く直進すると「赤いくつを履いた女の子」の像に着きます、何万人に撫でられたでしょうか光輝いてます。野口雨情のモデルの人。

コースは官庁方向へと成った、日米和親条約の碑に来た、球体がその証に成ってる。足を少し伸ばし交差点から見る。其れは3棟に見られる、開港時は今の様な建物は無く見通しが良かったそして3棟が目印になる。

Kキング、神奈川県庁。Qクイーン今の横浜税関。Jジック、横浜開港記念館。1917年竣工から船員からトランプのカードと見立てそう読んだ。

この辺から帰る道に入った馬車道を歩く、一本のガス灯に見入る、日本最初に点灯したガス灯がある。明治5年の時でした。

歩きは関内駅に向かってる、店は知る人の店「泉平」この店は古い創業、天保10年と書かれてる、商売はおいなりを売っている、細長い形です。
当時からこのスタイルです。270円でした。


10kmの歩き横浜散策は楽しめる、色んなコースが有るようで別の歩きでも歴史を知りながら異国情緒の場所で浸れるのはよい、寒い1日でしたが満足が充分得られた自分でした。


写真 山手カトリック教会と青い目したお人形の像



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