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とうとう 

2016年02月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



去年のこと、親しいご近所さんに朝食を抜くように強力に進められました。
書籍まで貸してくださって、健康食生活のすすめでした。


夕食から翌日の昼時迄ののミニ断食です。
効用がいくつも述べられていました。
なるほど、書物通りだと良さそう。


出勤する訳でもなく、在宅老人ですから朝抜きはやろうと思えばできない事はない。
しかし、

長い習慣で、一日の始まりにシッカリとバランスの良い食事を摂りたい。
朝は、食欲もあり美味しく感じる。
ガソリンを空にしては車は走らないではないか。
そんな訳で、

ミニ断食の勧めには乗らなかった。
昨日の↓はデジタルの毎日新聞から。






こんな統計も丸呑みして、影響される事もない。


ただ、自分の今までどおり、自分のやり方をまもるだけだ。






世間は健康について、騒がしい。




昨日、ざっと目を通した本。





がんを避けるための食事について、説きながら。


あとがきは


「がんで死ぬ」と「他の病気で死ぬ」幸せなのはどっち?がタイトルです。




あとがきは次のような文章で始まります。


〜「最期はがんで死にたいね」と医者仲間で話したことがあります。
癌でいいことは、死ぬまで意識がはっきりしていて、自分を失うことがないことです。


例えば認知症が進行したとして、家族の顔もわからず、自分の名前も年齢も忘れ、着替えや入浴、排泄など、すべてに介護が必要になった状態で生きていくのはつらいなと考えます。


がんであれば、のこされた時間をどう過ごすかを考える時間もあります。〜〜


後略






誰もみんな最後は死にたどりつきます。


人の死について簡単には言えない。


死に方を選択できないのだから。


人が最も自由にならないのが、自分の死です。


知りたくても知ることの出来ない自分の最期です。






「死にたい」を繰り返し訴えておられた91歳さんが望み通り逝かれました。


見舞った二日後です。


最後まで、トイレも自分で行き、とうとう永遠の眠りにつかれました。


また来てねと手を握り合って別れた手のぬくもりを、思い出します。






付記


長い付き合いだったので、訃報を聞いてから一週間ずっと意識の中で思い出とともに過去を振り返っていました。


91歳さんが「死にたい」を連発されたのは、まだまだ生が続くと思ってられたからでしょう。もし、そんなに早く最期が来ると知っていたら、言い残すこともあった筈。


あの見舞った時の感じでは、顔色も良かったし、こちらもそんなに突然に最期が来るとは思いも寄らなかった。娘さんも、信じられないと言っておられた。


人の命ははかない。


残された時間をどう過ごすかと言う難題を突きつけられたように思います。

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