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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

小説その16 

2016年03月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


ブログを書き始めた翌日、爽太は千恵子が行ってみたいという軽井沢高原教会へと出かけた。千恵子は、こちらへ来る前に息子の友人がこの教会で結婚式を挙げたので知っていたらしく、どうしても行ってみたい場所だという。星野リゾートが運営するホテルブレストンコートのすぐ近くにあると聞いていたので場所はすぐに分かった。しかし、教会の建物はあるのだがその建物には「星野遊学堂」と書かれていて、軽井沢高原教会とは書かれていなかった。
 
1886年、カナダ人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーがこの地を訪れて以来、軽井沢にキリスト教が根付き、各教会では信仰が育まれてきた。この軽井沢高原教会は、1921年(大正10年)に開かれた「芸術自由教育講習会」を原点として誕生した。
前身であった質素な講堂に、キリスト教者であり思想家である内村鑑三をはじめ、北原白秋、島崎藤村ら当時を代表する文化人が集い、「真に豊かな心」を求めて、熱く語り合った。
芸術自由教育講習会から「遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり」というひとつの理念が生まれた。遊んで楽しむ、大いに結構、心から楽しいと感じればそこからまた何かを学び取れる、これは素晴らしいことだ。何事においても慎みが求められた時代にあって、芸術自由教育講習会は、感じたことを感じたままに表現し、自由に討論できる空間だった。
その空間をこよなく愛した内村鑑三は「星野遊学堂」と名付け、布教の場とした。そして、芸術自由教育講習会の理念は、この地で受け継がれていくこととなった。教会の歴史には、信者を募る場ではなく、軽井沢の自然とキリスト教の愛のもと、心の交流の場になることを願った内村鑑三の思いが貫かれている。
戦後、「軽井沢高原教会」と改名して再建されたが、原点である「星野遊学堂」の名は建物の正面に大きく刻まれている。思想・宗教の別なく人々が交流した芸術自由教育講習会の伝統が守られ、1974年には軽井沢で初めて信者以外の挙式を受け入れるようになった。
牧師館は、かつてこの教会で挙式した人々や、この地を訪れた人が、ふっと立ち寄り、おしゃべりを楽しむ場所になっている。そして、礼拝やコンサートは、人々が集い思い出をつくる場になっている。芸術自由教育講習会は、今もなお、この教会にいきづいている。
 
二人は、ゴスペルを聞き、壮言なる牧師の語りに感動した。そして、素晴らしい自然の風景と静かな佇まいに心を打たれた。ゴスペルの第一人者である亀渕友香は、この教会をホームチャーチとして活躍しているが、その後ゴスペルコンサートが開かれ、亀渕友香とThe Voices Of Japanの凄まじい迫力に感動した二人は、以来、日曜礼拝に参加することになった。これは爽太にとって、まさかの出来事だった。教会でゴスペルを聞き、また一緒に歌う機会を得るとは夢にも思わなかった。ゴスペルのリズムがジンジンと身体に響き、いつの間にかこみあげてくるものがいったい何なのか、爽太には初めての経験だったが、軽井沢という場所と、静かな森の中にある軽井沢高原教会の存在は圧倒される何かがあったに違いなかった。
 

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