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たかが一人、されど一人

悪事に関する家庭教育 

2016年04月10日 外部ブログ記事
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今朝は普段観ない皇室関係の番組を観て。今日がご成婚記念日であることに気が付いた。57回目にあたるそうである。決まり文句であるが改めて流れた歳月の早さと、その長さに思いが至った。数日前に書いたばかりだが、4月10日は親元を離れて大学生生活を始めるべく上京した初日で、個人的にも記念すべき日だった。思い返すと、当時なんと幼かったことか。現代の若者に比べると恥ずかしいくらいだ。中学時代の修学旅行で過去に一度上京の経験はあったが、長野市周辺と松本市在住の経験が少しあるだけだから、東京については東も西も全く別ち難かった。表現が不適切かもしれぬが、そんな子供にとっては将来への希望とか不安なんぞを感じる以前に、知らない街への興味だけでワクワクしていたようにも思う。現在であれば、小学生か中学生くらいの子供が初めて子供同士でディズニーランド来た時と似ているかもしれない。恐らく現代の大学1年生には信じられないだろうが、間違いなく本当のことだ。ことの良し悪しは別にして、現代の大学新入生が取得できている情報量との差が圧倒的に少なかったからだろう。社会的には極めて未成熟、碌な知識もないくせに、下らぬことだけは家庭でほどほどの教育を受けていたことが面白い。酒と煙草についてのことだ。当時も法的には成人式までは未成年で、現代と大した違いは無かった筈だ。しかし高校を卒業する年齢になると、進学するにせよ就職するにせよ一般社会では一応一人前に扱われていて、飲酒喫煙は大目に見られていたように思う。多くの家庭でもそんな認識だったのではなかろうか。我が家でも大学入試に合格した日には、厳格だった親父が態々盃を差し出して祝ってくれたものだ。親が喫煙する家庭の子供は殆どが高校時代に喫煙を始めていたから、卒業と同時にごく自然に大っぴらに吸い始めたに違いない。あとは博奕と女郎買いである。高校時代の飲酒喫煙については「トライ」即ち試すだけならそんなお金を必要としないが、博奕と女郎買いはそうはいかない。博奕の代表格はパチンコ屋への出入り、女郎買いは通学路に特飲街(長野市の場合正式な公娼ではなかったのでこのように称されたらしい)があったので、からかい半分に誘われたことは屡だし、実際に上がり込んだ者もいただろう。何れにせよ、どちらも金と度胸がなかったので無縁ではあった。当然ながら大学生になれば、社会的制約が一切なくなると期待していたのかもしれぬ。母は悪友が我が家に集まってそんな下らぬ話をしていると「みんな見事大学に入ったら、おばさんが東京で一流の芸者さんを紹介してあげるから、それまで女性のことなんか考えずに勉強しなさい。」と言って友人たちを喜ばせていたものだ。しかし見事大学入学の4月になると、売春防止法とかいう法律が実質的に施行されることになっていて、公娼を含めて一切の売春行為が禁じられ、まともな成人でも大っぴらに買春はできないことになってしまった。18,9歳ともなれば半大人、仕事は半人前でも悪事にはすぐ染まるだろう。何れ一人前になった時でも「程々にしなさいよ」と言い聞かされていたような気がする。下らぬことを長々書いてしまったが、言いたいことは情報過多時代の不幸である。こちらが大学生になりたての頃は、先に書いたように下らぬことは別にして、これから吸収すべきこと即ち未知のことが多すぎるくらいで、我が身の将来なんかまともに考える余裕が無かった。しかし現代の若者にはまともな情報が若い時から詰め込まれてるが、どうでも良いように見えて誰もが弁えるべき情報が少し不足しているのではないか。若くしてスポーツ選手や芸能人になりたいとか、政治家だけにはなりたくないと決めている人が多いし、事実大学生年齢以前に大成する者も多くなっている。結構なこととは思うが、折角若くして名を挙げながら博奕とか女性問題でつまずいたりする人のニュースに接すると、いわゆる悪事についても若いうちにほどほどの教育が必要だ。昔は家庭がその役目を担ったのだろうが、現代家庭では勉強とかまともなことで精いっぱい、悪事教育までは手が回りかねるようだ。

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