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アイヌ民族は日本列島の先住民なのに失礼な! 

2016年07月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

北大などにアイヌ民族の遺骨が研究の名目で勝手に保管されていたなんて!びっくりです。やっと少し返還したのですって ?なんで今頃、それも訴訟しなければ返されないなんて!

と、思ったらこんな本が出版されていました。
返還訴訟の経緯や、開示させた北大の資料などが書かれているようです。

『アイヌの遺骨はコタンの土へ 北大に対する遺骨返還請求と先住権』 
朝日新聞5月30日の記事


19世紀後半から1970年代まで、北海道大学を中心に全国の大学の教授らが、北海道やサハリン、千島列島など各地のアイヌ・コタンの墓地を曝いて、大量の人骨と副葬品を研究室に持ち去った。明治政府が新しく支配したばかりの事実上の「植民地」の先住民は、死者であれ生者であれ、単なる研究対象でしかなかった。しかし奪われた側のアイヌは、むろんそうではない。頭蓋骨計測研究のブームが去り、残されたアイヌ人骨や副葬品は学内の奥深く仕舞い込まれ、あるいは散逸し、忘れ去られた。しかしそうされた側は、忘れたくても忘れられない。たとえ百数十年が経とうとも……。本書は、今も大量の遺骨を保管する北大を相手に返還訴訟を起こしたアイヌたちの闘いを通して、先住権を無視したまま日本政府が進める「名ばかりのアイヌ政策」を告発する。
研究資料の名目なら、墓をあばいて良いということにはならないでしょう。何万年も前の人骨じゃあるまいし。


帝国大学時代の北大も東大もその他の帝大も、教授たちは好き勝手に調査と言って墓をあばいたようですね。


大和民族との違いを研究した?
でも、我々大和民族は縄文人か弥生人か、奈良時代に朝鮮から逃げてきた人たちか、様々な民族のミックスでしょう。北方系も南方系も知らず知らずに混じり合って、多少地方色はあっても、すでに渾然一体となってきているじゃないですか。それがまた良さでもあり強みでもあるのでしょう。


アイヌの人たちも混血が進んだとはいえ、民族の誇りを捨てず、独自の文化を守ろうとして居られるでしょう。
明治以降、国の中にそういう別の文化があってはならないと、無理な同化政策が取られていたのでしょうね。あからさまな差別意識で。


元々、日本列島はアイヌの土地だったのに、武力に勝るやまと民族が"東征"などと言って攻め滅ぼし、北へ北へと追いやったのでしょう。


ところが、教科書には、「アイヌに土地を与えた」と書かせたそうですね。真逆じゃないですか。子供に嘘を教えるなんてとんでもない話。アイヌの広大な土地を奪って、狭い地域に居住させた事を、土地を与えたなんてよくも言えたものですね。


さて各地の元帝国大学(現国立大)に保管され、その後研究されてもいない、近代のアイヌの祖先の遺骨。国はまとめて白老町に埋葬すると言うのですが、樺太や千島の遺骨はそれでも仕方ないとして、それ以外は 北海道のコタン(アイヌの村)の、昔あばいた墓地に戻すのが当たり前でしょう。
北海道の墓地から持ち出した遺骨は、アイヌの方々に全て渡して、それぞれの故郷に帰していただくのがスジというものでしょう。


私自身は、墓を重要視して居らず、死んだ後の亡骸なんてどうでもいいのですが、でも、土葬だった時代に、副葬品とともにねんごろに弔って土に帰したはずの遺骨が、盗み取られていたら、どんな気持ちがするでしょう?
自分の曽祖父であったら許せないと思いますよ。


四の五の言わずに、さっさと返しなさいよ。


今日は朝からかんかん照り。洗濯を干してすぐエアコンをつけました。28度ですが私は冬のズボンを穿きました。冷房には弱いので。

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