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日々徘徊〜♪

「お迎え現象」 

2016年10月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ひとりで死ぬということと「お迎え現象」

これはよく聴くお話です。
以前もブログに載せました。 亡き母親ですが
意識ははっきりとしていた時に このお話を聴かされました。
私たち姉妹は その方を見たことも聴いたこともない
人でした。 いったい誰なんかなって

でもうちらの過去帳には載せていないお名前でした。
では 母親の実家の どなたか はたまた従妹?

しきりに枕に立つと・・ そんなお話を聴かされました。当時は ほんまかいなぁ〜。
と半信半疑で聞いていました。ひょっとしてモルヒネの
うわごとと思っていました。意識が朦朧とすれば
そんな幻覚も・・


緩和ケア医・おひとりさま応援医 奥野滋子
どんな人間にも必ず訪れる死。最近は、子や孫や親戚一同に囲まれた「絵に描いたような大往生」が減り、
「孤独死」が増える傾向にある。
見守っていた家族をひとりきりで死なせてしまい、
後悔する人も少なくない。

終末期のがん患者に寄り添う緩和ケア医として、これまで2500人以上を 看取り みとってきた奥野滋子さんは、「ひとりで死ぬことが寂しいとは限らない。
人生に満足し安心して旅立つ方も多い」と、
人の最期に関する一つの考え方を提示する。

しかしこのお迎え現象を読んでみまして
本当の事かもしれないと思いました。

何故なら私の母もそのように言ってましたから

人間はつねに死に向かって歩んでいると
奥野滋子お医者さんが二千五百人の看取りを
されての事

なまじ嘘ではないと いろんな人とのみとりで接し
そしていろんな亡くなり方も 見てこられたことでしょう
応援医 奥野滋子さんのお言葉
私は16年間、緩和ケア医として、病院や在宅診療で訪れた患者の自宅などで多くの方々の死に触れてきた。
今回は、その経験から思うことをお伝えしたい。

死への怖れ、永遠の命への希求、親しい人との死別がもたらす悲嘆は、場所や時代を問わず、人間にとって共通の重要な問題である。
日本は今や超高齢社会に突入し、医療の進歩により容易に死ねない時代となった。
どこで生きてどこで死ぬのかを、個々人が具体的に真剣に考え、決定せざるを得ない状況にある。

 高齢者だから死が近いということでは、もちろんない。実は、人生のどの段階も生と死は表裏一体であり、人間はつねに死に向かって歩んでいるといっても過言ではない。
健康な人であっても、事故や事件など不慮の事態によって命を奪われることもあるのだから、まだ若いからと言って人ごとでは済まされないのである。と

では突然に死を断たれた人はどうなるのでしょうか
お迎えどころか とも 思います。

では こうして終末期にお迎えが来るのは
突然より幸せなのかもしれませんね。
だって 昔より緩和ケァが 充実していますのでね。

そして母は昔から、人が生まれるのは、
満ち潮の時、死ぬのは引き潮の時って...

嫌なことですが一度は通る道です。
応援医 奥野滋子さんの言葉はwebで
まだまだ続きます。



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風宮さん こんばんは〜〜☆

お京さんさん

お迎えと言う事
に ついて コメント戴まして有難うございます。

はい、 人は皆一度は死にますが
多分に自分の寿命は 判りません。

もしもわかれば どうでしょうか
死ぬ事は未知で怖いですが
知れば生きることに消極的になるのか
前向きになるのか
発狂するのか まったくわかりません。
寿命は知らないから生きられます。

また 癌で末期ならそれなりに覚悟もできます。
何故怖いのか 知らない世界だからかも それとも
抹殺されるから? 未練? 今現在生きているから
怖いのかも 何故父母兄は死んだのかなって
なんで寿命があるのかな まるで哲学のよう

まぁ深く考えないように もしも突然ならこの歳になれば まぁ いいっか 若ければ無念。
それともあと三か月と ならば 遺すものに
何らかのメッセージも 突然ならそれもよし。
死を知らないから このように
書けるということなんでしょうか
難しいテーマでした。

2016/10/19 21:24:01

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