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もう一月は終わった様な気持ち。 

2017年01月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ううう、忙しいッス!金曜日からコッチ、私の中での体感時間が半端な〜い!!!一月が始まって一週間程経った時、主人にもう一月も終わりの様な気がすると話して、まだ、早くね?とその時は呆れられた私でしたが、昨日しみじみと、もう一月も中旬なんだな…と言われて、でしょう?と答えたのでした。自分が歳を取るに付け、本当に1日1日がチョッパヤで過ぎていく事をヒシヒシと感じます。お願い、誰か時間を停めて〜…土曜日は、娘の学校公開でした。午前中、四時間目までの時間に学校公開があり、三時間目迄を主人と参観する事に。一年生、三学期最後の学校公開授業でありました。一時間目は国語の予定で、始まりは8:30。なので早くに家を出ないといけなくて、更に早く起きれなくて遅めの起床となった為、主要な家事は全て後回し。。。義母の入浴準備を整えてから、主人と共に車でバタバタと出掛けました。学校から少し離れた場所にあるコインパーキングに停めて、それからひたすら歩いて教室へ。道中、とても寒くて凍えるかと思いました冷たい外気に晒されたがゆえに耳が痛くなると、何やら生きる気力が根こそぎ無くなってゆくの。昔からなんですけど、寒さで耳が痛むと、何か物凄く心が辛くなって弱々事、甚だしい私なのでした。寒いの、キライ!私達が教室に着いた時既に、一時間目がすこし始まっていました。本日の内容。固有名詞と普通名詞を理解させよう的な…?まずはその概念を理解させようという狙いなのか、取り敢えず先生が用意して下さった教材で、それとは知らぬままに娘の組の子供達がお勉強に取り組んでいました。グループに別れて、席を移動した子供達。各々が一グループ毎に違う固有名詞で薔薇・向日葵などの書かれたカードを一枚ずつ持っており、他のグループだと、トラックやタクシーなどのまた違った固有名詞のカードを持っている。先生に与えられた時間枠の中で、グループメンバーが相談し、普通名詞は何だろね〜と、考える。そして、代表選生徒も一名選んで、皆んなで考えた名詞を具体的な答えを抜いた定型例文に則って発表しましょう〜というもの大人の目からすると、シンプルで取っ付き易い内容だなぁと思えるのですが、まぁ、一筋縄では行かないのが小学一年生…(笑)まだ、その幼さと経験値の乏しさ故に、具体的に模範的な授業な受け方が分かんないんだよね。。。一時間を通して担任の先生も大変だな、と思う事ばかりでした。中には、優等生タイプのお子さんも居るのですが、それでもまだまだ子供だよな〜と感じる、拙さがあり。娘の組では6グループあった中で、初っ端の一番手に発表をしたのは、優等生タイプの女の子が所属し、案の定その子が答えていました。先生のお話をよく聴いているなと思われる動作で言われた通り、予めグループメンバーのカードを集める手際の良さは流石。大まかには、手持ちの固有名詞のカードを順番に読み上げ、それの普通名詞を答えるというもの。薔薇、向日葵、…、…、は、花という名前です、といあ内容を答える感じ。発表に関しては、少し理解が出来ていなかったのか、答えは意図通りであるけれども、厳密に先生が持って行きたかった定型例文に答えを置き換えて答えるやり方は出来ず、自由回答な感じでしたが、一年生にして、将来有望な女の子でした二番手は、何と娘のグループでした。んん?娘以外、メンバー全員が男子だった様な…?そして娘は明らかに先生の話を聴いてないタイプ。大丈夫か…?で、経緯はよく分からなかったんだけども、メンバー同士があんまり相談していない様に見えた娘グループの席で、ニーナがおもむろに他の生徒からカードを取り上げる様にして集め始めた。おいおいおい。。。代表を誰にするかとか、相談したの?と思うけど、皆んなのカードを集めて意気揚々とその場に立ち上がったのは良かったんだけど、読み上げる声が驚く程、小さい…娘は目立ちたがりな癖に小心者なので、いざとなるとダメなのです。皆んなから、声が小さ〜い!と言われるも、大きな声で発表が出来ず、途端に先生がやって来てくれた。何とか、大きな声で…とか、横で励ましてくれたのだが、娘の声はヒソヒソ話位のボリュームから上がることはなく、別の子に代わって貰うかとの提案もあったのに、何故か退ける様を見て、私達、居た堪れなくなりました。先生、クラスメイトの子供達、本当にごめんなさい…(土下座)後で、何でニーナが発表をやったの?声が出ないなら、他の子に代わって貰わなきゃ、時間もあるんだよ…と話したんですが、他に代表やる子が居なかったからとの答え。ホントかなぁ?( ̄▽ ̄)ホントなら仕方ないけど、あ〜あ。。。と思った。申し訳なくも娘のグループで結構時間が取られてしまったのでマキな授業になりましたが、他の4グループもそれなりにキチンと答え、触りの布石部分がまず、終了しました。それからいよいよ教科書に入り、その章のテーマでは、物には全て名前が付いている事、固有名詞という言葉は使わないものの、固有名詞的に薔薇等、そのものに名前が付いている物と、薔薇や向日葵等、を引っくるめて花という普通名詞的な名前が付いている事を学ぶ内容になっていました。言葉の初歩を一から、こうして学んでいく事は大事ですね。生きていればその内に身につく事でもあるかも知れませんが、学校で意図的に学ばして貰い、子供達の知識として構築、更に日常生活の経験から身を持って知り、少しずつ使い方が定着していくのかな。。。とも思ったり。大人視点から参観していると、全貌が見渡せるのですが、子供達はまだ未熟なので、授業一つにしても集団の中での色んな個性が見え隠れしており、自由だな〜と思ってしまいました。授業の中で先生の言う事って、まだまだ私にとっては簡単で、聴いてさえいれば理解に繋がるのにと思うのですが、集中力が続かない個性の子供はまず、その聴く事が出来てない。私の娘がその点、すごく典型的でしたね。( ̄▽ ̄)親心としては、そこは最低限、押さえておいて欲しい授業態度なのですが、先が思いやられそうな個性の持ち主なので、ドキドキします。ホラー的な意味で。wしかし、自分の子供の勉強の目を通して改めて感じた事ですが、国語って、学ぶのも教えるのも難しいのね。。。って事でした文系真っしぐらの私は、学生時代は一貫して国語がとても得意で大好きだったのでその辺の苦労はしておらず、娘を持つまでは、知らなかった事でした。ともすれば簡単に、何かに気を取られて手遊びなどに夢中になり、話を聴かない子供が殆どでした。それを見つけ次第、やんわりと律しながら授業を進めなきゃならない先生は大変だなと思うし、国語は概念的で曖昧な内容が多いので、ポイントが分からなければ受け取る側も、ワケワカメのまま。世間知らずで表現語彙も文法もままならない子供達に例文と問題をどの様に解くかを教えるのは至難の技かも…と思ったのでした。てゆ〜か親として、すんごくヤダよ!結局、学校は一通りの勉学常識を遍く等しく教える場であり、自分の子供が物凄く痩せた畑だと知り、何とか農作物実る大地へと地道に耕すのは親の役目でしか無い事に行き着く訳ですよね。何て一大事業をしなければならないのかと、正直なところ、途方に暮れます。自分が四苦八苦して歩んだ道を、子供という存在の他人視点でがっちりサポートして行かなきゃいけない責任が重くって、私に務まるのかなぁ。。。自分の思う様には理解してくれないもどかしさを既に嫌という程、思い知っているので、シンドイです。まぁ、同様に娘もシンドイよね。とにかく話を聴いて、理解してくれればなぁと思うのですが、人間を育てて行くのって、物凄い労力が要る事なんだなぁと考え込んでしまします。うう、親って、シンドイなぁ。世の中の成人を育て上げた親の人、無条件で尊敬します。学校公開で、宿題で、塾で。ココまで考え込む親を持つ娘も重いなぁと、その内思う様になるのかも。ゴメンよ〜!知恵や知識こそ、生きて行く上での宝と思う私だからさ。この先、もしかしたら生易しい親子関係では居られないかも…と思った私なのでした。そんな悩みを慢性的に抱えつつ、この後、私の考えは、一つの転機を迎えます。それは国語の授業の次の2時間目の時間を活用して行われた講演会での事でした。私は例によって痴呆のライフワーク的にスッカリ失念してしまっていましたが、そう言えばこの講演会の事は、学校から保護者に対して事前に告知されていた行事でした。講演会のゲストは、去るリオデジャネイロオリンピックの時に全日本選手として某種目で参加を果たしたH先生。立派なアスリートの女性でした。こういったプロのアスリートさんと言えば、樫木裕実先生の、スタジオCにも通われている方もいらして、人によってはチラッとそのお姿を拝見する機会に恵まれる事もあり、スタジオに通っていらした、私のとあるお友達カーヴィラーさんを経由したご縁で、元フィギュアスケーターのお友達も居たりするのですが、どの方を何度拝見しても、アスリートらしい整った体とオーラが凄くて、テンション上がりますね!(笑)Hさんも、背が高くてスラッとした大変お美しい佇まいの女性でした。その講演会は娘の小学校の体育館に移動した先で行われました。前方部分に1〜3学年の生徒がクラス毎に整列し、体育座りで待機。後方にパイプ椅子が並び、保護者が座って観覧出来る様に整えられていて、私達夫婦は一番後ろの席に座る事に。…しかし、とか言いつつ正直、最初は私達、あんまりHさんには興味が無くて完全に単なるミーハー心で講演会に参加したのでした。。。( ̄▽ ̄)オリンピックとか、特に熱中して見るタイプまではない文系オタクな私だからHさんとか、知らない人だし。学校公開がこの時間、授業じゃないなら別に、見なくてもいいんじゃない?と思いながらも、でもマァ、こんな田舎でオリンピックに出場されたアスリートさんを見られる機会もそう無いので、見るだけ見てみるかぁ〜と言った、大変軽くてとんでもなく、失礼なノリでした。子供達は皆、興味津々だったと思います。オリンピックにも出たアスリート選手だなんて、ただひたすらカッコイイですもんねでも、その方を体育館で見掛けた途端、その姿や佇まいの美しさに心を奪われました。魅せる演技系の選手です。立っていらっしゃるだけで、美しい…思わず、感嘆の声が保護者席から上がりました。。。一番前に座れば良かったな、なんて思わず考える私。まずは校長先生のお話が少しあって、それからHさんがステージ前に登場。司会の方の質問形式で、お話が始まりました。中には、予め生徒さんの中で何人かの代表が決められており、(もしかしたら、クラス役員さんのお子さんだったかも?)演目毎に前に出て、Hさんの指導の元、演目の体験をしていました。その中に、すぐ近所に住む、娘と同じ登校班のお友達の女の子Kちゃんが出て来た事に夫婦揃って、おったまげ(笑)難しそうだったけど、頑張って演目を体験されていました。実際、Hさんも限られた場所で簡単な演目を見せて下さったのですが、どれも素晴らしくて目を奪われ、子供達も大興奮子供のかわいらしい反応も、H先生の演技も素敵で心に残りました。参加して良かったなと、改めて思うのです。私がこの講演会中、特に注目したのは、Hさんのお話でした。ご自身のプロフィールを語り、彼女がその演技をそもそも始めたのは、小学校一年生の時だったそうです。娘とおんなじ年だった時なのね〜、同じく年でもなんの取り柄もまだ発見されない娘とはエライ違いよね。。。等と、この辺は娘に対して失礼で( ̄▽ ̄)月並みな感想を抱いていた私。勉強は好きではなかったけど、プライベートタイムに通うその演技のクラブハウスに一年生からずっと通い続け、小学生時代は自分が大好きだと思う事をただひたすら、楽しいと感じ続けて、ドンドンとのめり込んで行ったといいます。六年生では、小学生の全国大会では入賞の上、好成績を残せたので、更に楽しくなったそう。でも、中学校に上がってから暫くして、そんなHさんの身の上に不幸が訪れます。突然見舞われた、怪我による体の故障。。。その事でドクターストップがかかり、活動休止を勧告されますが、長く所属していたクラブハウスのコーチの意向は、体の痛みを推して、演技を続ける事だと。結局、彼女のした決断は、演技を一時休む事でした。それによりコーチとの間に亀裂が走り、見放されてしまったH先生。その時、初めて辞めたい…と思ったそうです。いや、思うよね。私なら、サッサと辞めるわ〜。メンタル、胞子レベルで風に吹かれたら四散するタイプだもん。無理無理無理ッ!だから、体育会系は嫌いなのよ何でも脳筋で考えるでしょ?身体壊してもやれとか、他人の身体だと思って好き勝手言いやがって、ホント、死んじゃえば良いのに。って思う。私なら。私は小学校の時に母親に水泳をやらされて、全然好きではないのに通う事となり、更にコーチが体育会系で嫌になり、ソッコー辞めましたよ。大好きだった友達目当てで、バスケットスポーツ少年団に入ったものの、背も低いし運痴だひ、最初は目も当てられないくらい無茶苦茶下手で、ボール奪う事しか出来なくて、まぁ、コレは三年間奇跡的に続いたんだけどw、始めたばかりの時に鳩尾にバスケットボールが物凄い勢いでぶつかって、息が止まって苦しんで倒れたのに、後ろの邪魔だから退けって怒鳴るコーチに憎しみが湧き、その夜、寝床で寝ゲロする位、内臓にダメージ受けてたのにあの野郎、よくも…!と、今もネチコクそのエピソード覚えてる位だからね。体育会系の脳筋思考なんてクソ喰らえ!と思う系なので、Hさんのその話を聞いた時は、他人事ながら、何故か過剰に感情移入してしまって、何だかムッチャ涙が出そうになった。。。ホンマに酷い話やわ。人の体は使い捨てじゃないし、大事なものなのに、続けろとかって、鬼だよね。そのコーチ。ならまず、お前が故障したからだでやってみれば?って思う。。。 でですね。そんな経緯で、辞めたいってなった時に、H先生の中学校の保健の先生が(校医かな?その辺、曖昧ですが。。。)彼女にこんな風に言ってくれたんだそうです。辞めても良いけど、長くとても努力しながら続けて来た演技でもあるよね?どうせ辞めるなら、今持てる全てを放出して、辞めて良かったなって思える心境で辞めたらどうかな?と。この内容を聞いたH先生、今迄、とても苦しんで悩んでいたんだけれども、妙にストーンと納得が出来て、気持ちがフーッと落ち着いたんだそうです。恐らく演技面でタッグを組んで、長く支えて来てくれたクラブハウスのコーチは価値観の不一致から、最終的にはH先生を突き離し、繋いでいた手を完全に離してしまった。そして、それを救ったのがそれとは一切関係がない、保健の先生だった…と。この後、過去の経験や積み重ねを足掛かりに、クラブハウスに頼る事もなく、ほぼ独学で来る日も練習に励み、中学校の全国大会で更に好成績を上げて返り咲いたんだそうです。H先生は、言います。楽しいばかりであった小学生時代だけでは、今の自分は居なかったかも知れない。その時の挫折があったからこそ、自分はここまで来れたのではないか…と。保健の先生が自分にくれた言葉で、もう一度頑張ろうと思い、その後、練習を積み重ねて返り咲き、オリンピック出場選手になる自分になれた。結果、その時にやった練習は自分を裏切らなかった。自分を信じて自信と書くが、その練習が、自分の自信に繋がったと。やった事は何一つ無駄なんかではなく、身に付いて自信に繋がるのだと。…もう、感銘受けまくりでしたね。失敗を恐れるな。失敗があり、それを自己の研鑽や努力で克服してこそ、その向こうに光り輝く自分を見つける事が出来るのだ…と。もう、涙目。感情移入し過ぎやろ、私!(笑)でも、素晴らしくないですか?言ってる事、私はホント、イチイチ納得がいきましたもん。まぁ、失敗回数が異常に多い経験を持つ私としては、失敗が根深いトラウマになるパターンを思い知っているので、そんな簡単じゃね〜だろと思う部分も正直ありますけどね。でも、オリンピック選手にもなったH先生の実績ある人生から抽出された言葉の重みね。それを素直に、認めて受け止める事って、とても大事なんじゃないかと思うんですよ。失敗繰り返しトラウマ系のネガティブ根暗ロクデナシ女の私的には、その弊害なのか、娘には失敗による、あの何とも言えない情けなくて恥ずかしい気持ち、挫折感、恐怖感を味わって欲しくなくて、(私自身、近過ぎる存在である娘に対する感情移入によって追体験し、辛いのです。。。)厳しく、とても厳しく締め付ける指導をしなくちゃいけない気がして、気が狂いそうになる時があります。(コワイよ)…先に書いた勉強一つにしても、完璧に、せめて簡単な部分はまだ、私がサポート出来るので、その部分は思考を共有して理解していって分からない事を撲滅して欲しいと思う。そんな風に順風満帆に娘を操縦して、私も安心を得たいと思っていて、私が更に老いて知識もサポート出来なくなる時、娘の中に常識の基本がシッカリと根付いていると、いい。そうすればモウある程度、大丈夫かな?と思える所で、ソッと手を離し、独り立ちして自分でなるべく転覆しない方法で舵を取って人生の海原を進んでいって欲しいとゆ〜のが私の頭の中に浮かぶビジョンで、理想。その過渡期にワザワザ、泥臭い失敗を経験する必要があるのか?あんな思いをして?と思うので、失敗を取り除いてやりたい気持ちに駆られるのです。私の中では、必要な失敗もあって、それはその中から何かを得る系の失敗?何も考えずに、失敗を繰り返すのであれば意味がないので、そこで収穫を得て、同じ失敗はしない乃至、対応策を身に付けてくれるといいなと考える。でも所詮、そんなの怖がりで、予定調和の現実が大好きな私の夢物語なのかも。現実は、H先生の様にご自分の人生の中で実感した重みのある生き方をした人の言葉の様に、何にでもチャレンジして、失敗を繰り返しても私みたく腐らず、H先生の様にしなやかな心で自信に繋がる生き方をしなければならなかったのかなぁと考えさせられたのです。私は道を間違っちゃったよねそして、間違っちゃったまんま、澱んだ思考のまんまの状態で娘の指導をすべきではないのかなぁ?と思えてきたのです。…楽しいばかりで突き進むH先生をアスリートとして技術面、実力派として育ててきたのはクラブハウスのコーチだった。でも。コーチは途中でH先生を挫折させ、手を離した。そこを方向転換させ、救ったのが、関わりが少なかったと思われる保健の先生。方向を間違った所でブチ切れて、育てるべき子の手を離す様な親になっては、いけないのかなって。保健の先生みたいに、背中を押す親にもならなきゃいけないのかなって。講演では、子供達に子供達の立場で語りかけていたH先生だったけど、その生い立ちのエピソードから、私も子供を育てる親としてのヒントを貰えた様な気がして、故に私の中では、とても有意義な講演会だったと思うのです。出て良かったです。隣で座ってた主人とは、特にそーゆー深い話はしなかったし、恐らく主人は全くそんな事なんて考えたりしてはいなかった様子だったので、私からは、すごく面白かったね!出て良かったねと能天気に話すに留めたのでしたが、内心では、主人の心の中にも何かしら、無意識の中へ先生の話が種を落としてくれてるといいな〜と思いつつ、体育館を後にしました。その後、三時間目の道徳の授業を参観して、四時間目のコマ回しは、時間的に主人が会社に行かなければならなかったので、私もそれに習う事にした為、二人して見ずに帰りました。。。その日の学校の宿題として唯一出た娘の日記には、パパが途中で帰ってしまって悲しかったです、との感想として文字に残りました。…うん?パパだけかぃ?ママは?と、私の娘が幼少から密かにチャレンジし続けていたパパっ子計画が完全に成功している事を確信しながらも、一抹の寂しさを感じる身勝手な母親なのでありました。しっかし、午前中がそんな感じで学校公開に費やされ、眠気も甚だしい中、ヘロヘロになりながら朝の家事をやり、娘が帰宅した後に宿題を見て、それからお友達のKちゃんが娘を尋ねてくるも、鬼の心で断らせて公文の宿題を横で監視しながら終わらせた後、昨年受けたトレフルキッチンさんのポデリッシュメニューを夕飯に取り掛かり、三時間強の時間を掛けて作り上げ、そこまで夕飯時間が遅くならなかった事にホッとしながらも、土曜日はそのまま力尽きたのでした。翌日は、何故かヤケに優しかった主人の厚意に甘えまくって昼頃まで爆睡。優しかった理由は謎のままでした。。。私が寝ていた午前中は、主人はいっとき、床屋へと抜け、娘はテレビを見ながら留守番し、義母はリビングのソファで置物と化していました。その内にやって来たと思われる家の中でKちゃん姉弟が娘と共に自由自在に遊び散らかしまくる中、私もコッソリと起き出して、チョコチョコと時間を無駄にしながら合間に家事を済ませ、途中でチラッとAEONに行って娘の散髪をして貰って帰宅、再度Kちゃん達と遊ぶ娘を残してもう一度AEONに行って貰い、小公女セーラのDVDを返却して新たに借りたり、主人はマッサージを受けている間に私は買い物を済ませて夕方、帰宅。程良い頃合いに帰って行くKちゃん姉弟を見送ってから嫌がる娘に公文の宿題を取り組ませた後に夕飯カレーを作って食べて片付けてDVDを見て、就寝しました。4・5・6巻のDVD収録のお話は、セーラがかわいそうでならない時期。ラビニアの鬼畜さが増し、早く幸せな話にならないかものかな〜と思うのでした。。。関係ないけど、セーラのポニー馬車の御者だったピーター、生活力があって逞しい子供だなと思いました。セーラはお嬢に返り咲くから無理なので、だいどころメイドのベッキーとどうだろう?お似合いなんじゃないかしら?なんて、くっ付けババァ的思考で見てしまうオバちゃんがココに居たよ(笑)はぁ、しっかし。話題が冒頭に戻りますけど、時が経つのは早いですな。。。働いてても、遊んでいても、ダラダラしてても、何をしてても変わらず速いんですよ。誰か、時間を停めて〜!!!!最近、結構本気で思います。

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