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人生いろは坂

人こそは国の宝 

2017年01月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 その国が良い国か悪い国かを決めるのは、決してその国が豊かだからとか大きな国だからと
言うだけではない。

 江戸末期、諸外国がこぞってアジアに進出して来た頃、日本は総じて貧しい国であった。
幕府も各藩も財政的には困窮していた。資源の少ない国であった日本は、長らくの間、
鎖国という政策によって諸外国との取引がなかった。従って、富を増やそうと思っても
その手段がなかった。

 こんな貧しい国だったので、アジアの各国をことごとく植民地化してきた欧米各国にとって
日本を乗っ取るぐらいのことは簡単なことであった。隣国中国では巨大な領土と資源を有する
国であったにも関わらず、イギリスが持ち込んだ阿片などをもって簡単に懐柔することが出来た。

 なぜ中国人が簡単に阿片などにおぼれたのか、その当たりのことは定かではないが、イギリス
がと言うより中国側に原因となるべき何かがあったのではないだろうか。

 白人の女性旅行者が書き残した旅行記によると当時の日本人は武士から町人に至るまで至極
まじめで礼儀正しく外国人に対しても寛容であったと書き残している。外人の女性の一人旅で
あっても何ら不安はなかったと書き残している。

 また、貧しくはあっても清潔であったと書いている。当時は相次ぐ天災などで不作続きで
生活は困窮していたものと思われる。にもかかわらず日本人は屈託なく笑顔が耐えなかったと
書いている。これが国民性と言うものであろうか。

 特に当時の江戸は、100万人を越えるほどの人口を擁していたにも関わらず、非常に清潔で
整然とした街であったようだ。長屋と呼ばれた庶民の暮らしの場所には共同の井戸が設置され、
共同便所は近隣の農家がくみ取りを行い、自分の田畑で肥料として使っていた。全ての日用品は
使い捨てではなく、再利用可能なものは使用済みの鼻紙に至るまで再使用された。いわゆる廃棄物や
ゴミなどと言うものはい一切出なかったのである。

 こうした清潔感や潔癖性は現在に至るまで引き継がれたもので、いわば国民性のようになっている。
中国では外国へ出て行く旅行者に対し、マナー教育が必要だと聞けば、国民性というものはどうしようも
なく出てくるものであることが良く分かる。

 そして、そうした国民性は金銭などでは置き換えることの出来ない崇高なものである。これが国と
言うものであり歴史や伝統に根ざした文化力というものではないだろうか。日も浅い歴史も伝統もない
国には望むべくもないものである。

 私たちは気づいていないけれど外国からの旅行者の多くが底知れない日本文化の奥深さを感じて
いるところであり、それが単にお城や神社仏閣の魅力だけでなく、日本人自身が醸し出す魅力に
なっているのではないだろうか。そして、それを作り出しているのは、他ならぬ私たち一人一人で
あることを誇りにしたい。

 私はナショナリズムをあおり立てているわけではない。むしろ今日の日本人が自信を失いかけて
いることを心配している。そして、常に日本人の心の中にあった自然を敬う心、神仏を敬う心を
忘れかけていることを心配している。

 貧しくても心優しかった日本人は自然を敬い、神仏に敬虔であった。そして心寄せ合って
生きてきた。縄文時代には数万年もの長きにわたって、そのような生活を続けてきたことが
発掘を通じて明らかになっている。

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