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人生いろは坂
神が降りてくる
2017年01月22日
テーマ:テーマ無し
他の人の同じような経験を読んだとしても、どうせオカルトの類いくらいに考えていた。
ところが自分自身が、その様な体験をし始めると「ええっ、嘘だろ」と思う位、色んなことが
現実のものとして現れ、その体験が最初は不可思議なもの、単なる偶然と思われていたものが、
どうやら嘘でも非現実的なものでもなく、この世の中には当たり前のようにあることなのでは
ないかと思えるようになってきた。
そして、因果は巡ると言うけれど、今生じている現実も人の出会いも過去に約束されていた
ことなのではないかと思わされることがしばしばである。その体験や現れようは人によって
様々なのであろうが、大なり小なり誰でも経験することなのではないだろうか。
ただ、意識していないと見過ごしてしまうようなことであり、偶然で済ませば偶然のことの
ように思えるような実にさりげない出来事の連続である。
こうしてみると幸せも不幸も誰かが仕向けているものではなく、自分自身が作り出している
もののようだ。しかし、人間というものは弱いもので、悪くなれば悪くなるほど他人のせいに
したくなるし、自分にとって都合の悪いことからは目を反らしたくなる。
それをあえて否定すると益々悪循環となり、深みにはまっていくようなことが少なくない。
出来れば何事もなかったようにさりげなくやり過ごせれば、いかほどにか楽なことであろうか。
結局は自分が作り出した悪の幻想に惑わされ続けているのが私たちのようだ。良いことも悪い
ことも全ては自分が作り出した幻想だと言うことが、はっきりすれば人間どれほど幸せなことで
あろうか。
しかし、全てが明らかになってしまうと面白味も何もないことになってしまうので、何となく、
もやもやとしている方が良いのかも知れないが。
ユングという心理学者はこうした体験は誰にでもあり、人類共通のものだと言っている。そして
植物も動物も万物が共通に持つものだと言っている。
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