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迷える羊のメモ帳

メモ帳87ページ目 桃の節句       

2011年03月02日 外部ブログ記事
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今日は桃の節句、女の子の健やかな成長を祈ってお雛様を飾りご馳走を食
べて楽しく一日を過ごす日です。
しかし、家族を作らなかった私には無縁な祭りである。
それでも真っ赤な毛氈の上に居並ぶすまし顔の人形を見ると、華やいだ気持
ちを抑えることは難しい。

そんな人の為か、埼玉県飯能市が「雛飾りお宝展in飯能」なる催しを開催し、
飯能市郷土館、文化財絹甚、商店街各店がお雛様のお宝を、自由に拝見
させてくれると言う、店先に掲げたピンクの旗を目印に「雛巡りスタンプラリー」
をさせてくれるなんて嬉しいイベントである。
見学者を迎えてくれるピンクの旗印は、124件と多い、菓子屋さん、お米屋
さん、肉屋さん、魚屋さん、クリーニング屋さん、呉服屋さん、等々と商店街
は出たり入ったりと忙しいが、店主さんは皆快く迎え入れてくれ、お雛様にま
つわる話もしてくれる。
そして嫁入りの時持ってきた人形が一番美しいと誇る、なんとも心温まるお雛
様談義に花が咲いた日でした。
私のスタンプ数は45個で終わりましたが、未練を残しながらもこの素敵な催
しが続く事を祈っています。
数多くのお雛様に出会い、自分なりにひな祭りを祝った満足感と幸せな気持ち
は今も続いている。

 
飯能市郷土館で「ひな祭り」のもとの一つと云われる「人形(ひとかた)」
を見た。
平安時代には、出産の際の死亡率が高かったので、命を持っていかれない
よう、紙などで人をかたどった呪い道具(人形)を枕元に置く風習があり
ました。息を吹きかけるなどして身代わりとして川や海に人形を流す
「流し雛」の行事として今も残っている。
江戸時代になってから「雛人形」を飾るようになり、不幸の種や悪い事は
ひな人形に背負ってもらい、子供は幸せに育って欲しいと云う親の願いが
込められていた。
段飾りが飾られるようになったのは、江戸中期のこと。昭和に入ってから、
今のような雛人形の形になったそうだ。



  
裃を着て正座した、オカッパ頭の子供の人形が、可愛らしく、珍しいので
目にとまった。
「裃人形」「座り雛」「三角雛」と呼ばれ、明治から昭和にかけて作られた
といわれている。その頃の雛祭りを「作神祭り」と言って豊作を願う祭りと
した地域もあり、女の子が居ない家でもこの人形を雛壇に飾り祝ったそうだ
兎に角、雛祭りは春の訪れを祝う祭りと言えるのでしょう・・・
菱餅の3色は上から桃の花 残雪 若草を表しているところから察するに
雛祭りの持つやさしさや華やかさは、春そのものの気がする。

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