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北軽井沢 虹の街 爽やかな風
父−3
2011年03月10日
テーマ:テーマ無し
何処でそれを習い覚えたのかは知らないが、父は自らを鍛冶屋(かじや)と言っていた。
後で考えてみると、すぐに仕事が出来たと言うことは、かなり長い間修行した経験があったに違いない。そういえば、兵隊時代は戦う兵士ではなく、確か満州で輸送用の鉄道の修理をしていたという話しを聞いたことがある。その時の同僚に皮のベルトをプレゼントしたが、その人が戦死したとき、ベルトの名前が父の名前だったので、もう少しで戦死扱いになるところだったという話しもしていた。確か、近衛連隊の鉄道隊と言っていた記憶があるが、定かではない。
鍛冶屋(かじや)を調べてみると・・・鍛冶屋(かじや)とは、一般的に鍛冶を行う店舗もしくはその職人を指し、主として鉄製品を扱い、刃物、金槌、鍬などの製造販売、修理を行う。
一般的には、鞴(ふいご)、金床(かなとこ)などの設備を有しており、鉄の鍛造(たんぞう)を行う。鍛造だけでなく鉄の溶接、切断の器具を備えているものも多い。鉄を熱する際の燃料はコークス、石炭、木炭などに別れ、鍛冶屋ごとに違う。
ただし鍛造をしなければそれは鍛冶屋ではなく、鉄工所である、とある。
ここに出てくる鞴(ふいご)は、送風機のことで、金属の加工、精錬などで高温が必要となる場合に、燃焼を促進する目的で使われるもので、鍛冶屋には必需品である。
また、鍛造(たんぞう)を調べてみると・・・鍛造(たんぞう)とは、金属加工の塑性加工法の一種。金属をハンマー等で叩いて圧力を加える事で、金属内部の空隙をつぶし、結晶を微細化し、結晶の方向を整えて強度を高めると共に目的の形状に成形する、とあり、古くから刀工が日本刀など刃物や火縄銃の銃身の製造技法として用いていた。
話しが少し前後するが、父の興した「富士ヴァイオリン」という会社は、第一次中東戦争勃発の影響を受け倒産した。詳しいことは記憶にないが、かなり好評だった竹製ヴァイオリンを大量に輸出することになり、それを積み込んだ船が戦争の影響で入港できずに引き返したが、船倉に長い間置いていたヴァイオリンはその熱のため変形し、大量の損害を受けた。その打撃が大きく、持ちこたえられなかったようだ。
しかし、父の転身は素早く、竹屋町という町に移り八百屋を開業している。
住居を兼ねた店舗は川のすぐ近くにあり、家の中から釣り竿を出し魚釣りができた。小学校3年生だった私は竹屋小学校へ通っていたので、その川は京橋川だったに違いないが、現在ではもうどのあたりか分かるはずもない。
時々小さなチヌが釣れていたのを思い出すが、キラキラと光る魚を子供心によく覚えている。
父は八百屋で稼いだ元手でいよいよ本職の鍛冶屋を開業することになるのだが、住まいも安芸郡 府中町 、船越町へと移り変わった。
その間私は、富士ヴァイオリンの時代に、流川幼稚園から袋町小学校へ入学し、竹屋小学校、船越小学校へと転校している。
猿楽町では、社長の息子、竹屋町では八百屋の息子、以後鍛冶屋の息子に変わっていった。
鍛冶屋といってもいわゆる小さな鉄工所である。燃えるコークスの中に鉄の棒を入れて、真っ赤に焼けた頃合いを見て取り出し、金床の上にのせてハンマーで叩き先を尖らせる。出来上がったものは鎹(かすがい)といって、二つの材木をつなぎ止めるために打ち込むコの字型の大きな金物で、木造建築に使われるものだ。金床(かなとこ)は、鍛冶や金属加工を行う際に用いる作業台のことである。
この時に、鉄をあまり焼き過ぎても溶けてしまうし、焼いていないと叩いても形はできない。火の勢いが弱くなると鞴(ふいご)を回して火の勢いを強くする。父は毎年12月8日の鞴祭りを大切にしていた。その日の夕方は、早めに仕事を切り上げて鞴とそのまわりを清掃し、みかんや御神酒をあげて鞴に感謝することを忘れなかった。鞴祭りのミカンを食べると風邪を引かないといって、ミカンが食べられる鞴祭りはいつも楽しみだった。
八百屋で作った資金は、こうした設備に使われたと思うが、この頃の父は計算してみると33歳くらいだった。大した収入もなく貧乏な暮らしだったが、その時、大砲の不発弾の処理という仕事があり、危険覚悟でかなりたくさんの不発弾を処理し稼いでいたことを思い出す。子供ながら、危険な作業ということを知っていて怖かったことをよく記憶している。
こうして記憶をたどっていると、思いがけないことを思い出すものだ。何を作っていたのかは覚えていないが、小学校4年生から6年生の頃、真っ赤に焼けた鉄を火箸で掴み金床の上に据え、もう一方の手で当てを鉄の上に置く父の指示で、長い柄のハンマーをその当てにめがけて打ち下ろす作業をしたことがある。子供だから初めの頃は上手くあたらないこともあったが、父は笑いながら「しっかり叩け」と励ます。だんだんと上手くなり、子供心に仕事をしたという喜びを味わった。そして、体中汗でびっしょりになったが、その汗は遊んでいてかいた汗とは一味違い、何か心地よい汗だった。もしかすると、ここに来てすぐに薪割りを会得したのもこの経験が生きているのかも知れない。
新幹線の車内から見る景色は飛ぶように移り変わる。思いは駆けめぐり頭の中は次々と思い出の場面に変わる。
つづく
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