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“銃剣道”の由来を山縣有朋著「陸軍省沿革史」から見る(其の二)陸軍諸学校 

2017年04月03日 外部ブログ記事
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昨日アップした「“銃剣道”の由来を山縣有朋著「陸軍省沿革史」から見る(其の一)」の文中に「諸學校」とありますが、「新人物往来社刊・日本陸海軍事典」より抜粋します。

「陸軍諸学校」
 将校・下士官の養成にあたる補充学校と将校・下士官の学識技能錬磨にあたる実施学校およびこの両者の性格を併せ備えた陸軍の教育機関をいう。陸軍の諸学校を所属により区分すると、大部分が教育総監の管轄に属し、憲兵・兵器・経理・軍医・獣医・法務関係が陸軍大臣、航空関係が陸軍航空総監、機甲関係が陸軍機甲本部長、陸軍大学校・陸地測量部・陸軍中野学校は参謀総長の管轄である。
 兵科現役将校補充のための学校は陸軍幼年学校・陸軍予科士官学校・陸軍士官学校・陸軍航空士官学校であり、高級指揮官や幕僚養成のためには陸軍大学校があった。各部現役将校補充教育は各部の実施学校で行った。予備役将校補充の教育機関は各陸軍予備士官学校、各実施学校・各部学校・船舶・鉄道・法務などの教育機関、また中国や南方に特設した幹部候補生隊などである。下士官候補者の教育は主として教導学校などで実施したが、支那事変以降、部隊が広範に多数増設されると、これに代わって各軍教育隊・各実施学校・各部の学校で行われた。
少年兵制度が設けられると、地上では、まず実施学校で少年兵教育を実施、のち陸軍少年通信兵学校・陸軍戦車兵学校を設けた。航空では、まず東京陸軍航空学校で、少年兵になるための教育を行い、次いで熊谷陸軍飛行学校・所沢陸軍航空技術学校で少年兵の教育を実施、のち陸軍少年飛行兵学校を設けた。
 実施学校の歴史は古く、明治初年から各種教育機関が設けられ、逐次、改組・増設、名称変更しつつ、大正時代以降、内容も充実し、各兵科・各部将校に必要な学術の教育と研究を実施した。また大部の実施学校で将校・下士官の補充教育を実施した。昭和に入って、科学技術の進歩に伴い、陸軍習志野学校、千葉陸軍戦車学校、四平陸軍戦車学校、陸軍機甲 整備学校、陸軍防空学校、陸軍中野学校、陸軍公主嶺学校など特殊専門の学校等を設けた。航空の各分科教育は下志津・明野・浜松の飛行学校、航空の総合教育と研究を満州の白城子、航空技術は立川の航空技術学校、航空整備学校、航空通信学校で行った。太平洋戦争の末期、本土決戦の段階になると、実施学校を基幹とする部隊(学校の軍隊化)に改編され、教育を中絶した学校も少なくない。(森松 俊夫)

尾張徳川家中屋敷跡の新宿区河田町にあった陸軍経理学校記念碑(東京女子医科大学校舎前)


陸軍経理学校一般経理教程(他に営繕経理教程もある)


尾張徳川家中屋敷範囲(東京韓国学校敷地に、清国留学生向けの陸軍士官学校予備校で蒋介石が卒業した振武学校もあった。)

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