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冷静にならなくては 

2011年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

東北関東大震災の被害の大きさは、途方に暮れるほどである。昨日はそのがれきの中から2名の命が救われ、その奇跡的な場面に涙した。日本全国から様々な形で援助の手がさしのべられているし、被災者の方々も少しずつ元気を取り戻している。
 
そんな時、福島原発で命がけの作業をしている方々には頭が下がる。その効果も見え始めている。
いろいろな話しを耳にするが、私たちは今、冷静にならなくてはいけない。
 
先日、娘がとても分かりやすい動画を紹介してくれた。
 
http://www.youtube.com/watch?v=5sakN2hSVxA
 
そして、娘は次のように私に語った。
「今も原発のまわりで懸命に事故を止めようと頑張っている人がいて、30キロ圏内にいても避難する手段がない人もいるときに200キロ先の人間がおろおろしていては、日本は沈みますよ。
地に足をすえて、元気に生きてください。原発に残って作業している人の中には製造したメーカーの人間として東芝と日立の人たちもいる。そして、はるかにたくさんの量の放射線を浴びる中、懸命に作業を続けてくれています。まだ安全な地域にいる人間は、逃げることを考えるのではなくて、日本が活力を失わないために元気に生活する必要があります。」
 
「広島の人たちは、原爆が落ちたあとも逃げずにその地を復興させ、暮らしてきたではありませんか。ある程度健康に生きた人が残りの人生で少し高くなった放射線を浴び続けても生き続けられる年数というのは限られているわけですから健康被害が出る量までは達しません。広島の地で生まれ育ったお父さんお母さんは、元気に65歳を過ぎても生きているという生きた証なのですから、特に冷静であるべきです。」
 
http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY201103200264.html?ref=rss
 
昭和18年に生まれた私は、あの原爆が投下された広島で育った。原爆投下の日は県北に疎開していて難を免れたが、その一月前に生まれたばかりの妻、そして義母は原爆被爆者手帳を持っている。周知の如く多くの犠牲者があったが、86歳になる義母や妻は、現在まで原爆症にならなかった。
東北地方の生々しい被害の痕は、あの被弾した広島の焼け野原を思い出させる。
 

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