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ドモドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモドモ

(~ヘ~;)ウーン 

2018年02月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

この手の文献 いつも参考にしてるけど ほんと凄い話 しかし ヴィットマンの運命も結局は戦争という 権力者の争いの波の犠牲者って事か 同じティーゲルのエースと言われた オットーカリウスは戦後薬局を開業して静かに暮らせたのに ヴィットマンはヴィレルボガージュの戦いのイメージが強いけど 実際戦闘の大半は 東部前線でソ連と戦っている方が長かった しかし武装親衛隊は所属が所属のせいか誤解をされてる事が多いし 戦後の ニュルンベルグ裁判では でっち上げ証拠で死刑に追い込まれた者 暗殺された者が多い ヨアヒムパイパーは戦後 裁判で でっち上げ証拠で死刑まで追い込まれたけど 戦時中助けたユダヤ人司祭 他カナダ軍 イギリス軍が弁護して無期懲役ー無罪を勝ち取ったものの ドイツ社会では受け入れてくれず フランスに偽名で暮らして 1976年フランスの極左テロに暗殺 ヴィットマンは反ユダヤ主義って いう事を初めて知ったけど それは所属の関係でそうなったかもしれない ただ ヴィットマンはあまりにも強すぎた  ”虎のような強い男は己を過信し短命で終わる” って話があるけど まさしくそのまんまだった ソ連戦車を138両撃破して  フランスに転戦 ヴィレルボガージュでたった一台のティーゲルで イギリス戦車及び装甲車 補給車まで壊滅させた 結局強すぎは短命で 終わるって事か ファレーズのあの悲惨な戦闘の中で 終わってしまった あのファレーズの戦闘は 元をただせば ドイツ軍とアメリカ軍の戦車戦で始まり ドイツが壊滅状態に 追い込んだ後 B17による激しい空爆で地獄の光景が始まり 月のクレーターの様になってしまった ビットマンの遺体は1983年になって やっと発見され 埋葬されたという   この手の文献を読むと”強すぎによる過信は 命とりに繋がるって事ですな  ヴィットマンとチームを組んだ乗員も 凄まじいほどの戦闘能力を持っていて 砲手のヴォルは 跳弾砲撃の名手だし跳弾で隠れた戦車を一撃で破壊したという  1500メートルの距離から ソ連戦車を破壊したというし だが 強すぎるゆえの過信が終わりを告げたのか ヴィットマンはフランスに転戦する直前 結婚して 幸せの絶頂にいた 人は絶頂とどん底が危険というけど まさしくその通りの話で 対極にいた オットーカリウスは常に冷静で地道だった むしろオットーは臆病だったかもしれない 幸い 国防軍に所属していたせいか戦後 親衛隊のようなみじめな事はなかった 臆病さが長生きに繋がるっていうけど まさしく オットーは薬局の店主として過去を知らせず ”気の良い薬局の名物おじちゃん” で通したとか 過去を知った人は尊敬したという 93歳で亡くなった つくづく考えさせられる話 今のぶらに対する警告にも思える” 暴走するなよ”ってね ぶら自身 暴走したらどういう人間になるか 理解してるせいか 自制に輪がかかる    しかし余談だけど この話実は長い事封印されていた 正義の連合軍のイメージだろうな ソ連側もペレストロイカまで戦車戦の恥さらしはひた隠しにしていた この時代だから知る事が出来たのです  

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