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覗けば漆黒の底(49) 

2014年06月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



覗けば漆黒の底(49)

「最後はあんな可哀そうなことになったが、的田恭子とのことは、どうだったんだい?」
「恭子と加奈枝が同級生で、そんな二人の繋がりが加奈枝と知り合うきっかけでした」
「そうだったな、的田恭子との面識が先だったようだな。亭主の的田啓志はY工業の経理部長で、お前さんとは大学の同窓じゃあねえのかい?ということは、やっぱり的田はお前さんの若い衆かい」
「確かに、的田をY工業に潜らせる結果となりましたが、磯田さんは一つ勘違いをなさっている」
「ほう、何をだい?」
「K組のことはさておき、私が作り上げた組織において、その組織の根幹を成している私の同窓生たちは、同じ志を持つ仲間であって、ヤクザの世界でいう子分でも手下でも若い衆でもないってことです」
「そうかい、お前さんとは生き方が違って、俺にそこんところはよく分からねえが、裏切りのない同志ゆえに築き上げることができたお前さんの組織、って言いたいのかい。まっ、その理屈でいうと、俺とお前さんの仲は親友ってところでいいのかい?」
「いいえ、私にとって磯田さんは人生の先輩で、唯一の相談相手です」
「相談相手かい、いや、違うだろう、お前さんの話の聞き役ってところだ。俺がお前さんに教えてやれることは何もないからな」
「いいえ、あなたの生き方そのものが、私には魅力的だ」
「そうかい、ありがとうよ。ところで、大学の新卒でY工業に就職させてからずっとなのかい?」
「ええ、就職活動をしている時にY工業の情報に触れましてね、その時は社員が百五十人ばかりの小さな会社でしたが、その技術力には目を見張るものがありました。時はバブルで、優秀な学生は大企業から引く手あまたでしたから、私の周辺でY工業に目をくれる者はいませんでした。ところが、急速に成長していたY工業では優秀な人材が欲しかったわけで、特に財務畑の人間がね。地元に帰りたかった的田には、野心を持って入社しろと薦めました。私が銀行を辞めて今の状況に落ち着いた頃の、彼の入社五年目には経理課長に抜擢され、それから五年もしないうちに経理部長です。先だって退社した時の肩書は取締役経理部長でした。上場したとはいえ同族会社ですから、的田の出世もここまでだ。上場したこれからのY工業には、あの体制で多くは望めないでしょう」
「結局は、上場した際に株を売り抜けたお前さんたちだけが、うまい汁を吸ったってことになるな。それにしても、およそ十五年をかけての野望達成か」
「いいえ、その計画は私が銀行を辞めてからのことだから、それでも十年をかけたことになりますね。同族会社で無理だと言われていたのを、的田の手腕で上場させてやったんだ。的田に四億円、義原に三億円の合わせて七億円は、その手数料と思えば、Y工業にとっては安いもんです。後は同族の経営者連中の手腕がものを言うだけだ。ただそれだけのことです」
「お前さんたちが大金を手にしたのは、K組の連中に仕込ませた悪巧みもあってのことだろう。おっと、それよりも、お前さんに入った金を忘れちゃあいねえかい。噂によると信じられねぇような大金らしいが」
「磯田さん、私だけのものなんてこの世には一つとしてありません。噂は噂だ」
「すべては組織のためで、すべては組織のもの、ってことかい」
「その話はともかく、恭子が本当に事故死だと思っているのですか」
「えっ?そうじゃねえという心当たりでもあるのかい。一人でしゃがんでいたあの女を電車の運転士が発見し、急ブレーキをかけたが間に合わなかった。しゃがんでいた線路にはハイヒールのヒール部分が挟まっていて、そのハイヒールを抜き取ろうとしていたが泥酔状態で云々、と報道されていたぜ」
「起こったことの結果は認めざるを得ないが、そのプロセスは自分の目で見たものしか信用しない。恭子の場合は、彼女が死んだということは厳然たる事実だが、なぜそうなったかは、取り巻く状況も観ながら、私の今後のことも重ね合わせて考えなければならないということです」
「そうやって用心深く生きてきたってことかい。その取り巻く状況って、いったい何だい?」
 多治谷がブランディーのボトルに手を伸ばした。
「少し間を置いてからだ」
 話しの続きをしろと言わんばかりに多治谷の目を見たままの磯田が、ブランディーグラスを左手の平で覆いながら、右手を煙草の箱に伸ばした。

 だが、磯田の記憶はそこで途切れた。


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