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50周年記念旅行物語―1 

2018年06月15日 外部ブログ記事
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50年前と言えば半世紀である。あまり記憶はないが、私たちは3月に出会いがあり、
二か月後の5月には結婚式を挙げるというスピードで新生活の幕を開けた。
ある婦人になぜ今の旦那と結婚したのか質問すると「魔が差したの」という答えが返って来て、私は思わず膝を叩いたものだ。私も家人に、いつか同じような質問をしたことがあるが、当時流行していたVANの靴を履いていたからという答えだった。VANの靴を履いていなかったらこの50年の歴史はなかったのである。まさに靴さまさまの出会いだったのだ。という危なっかしいスタートだった結婚生活は、今年の気温の変化のように上がったり下がったりを繰り返しながら50年の時が経った。
家人の見つけた、とっておきの豪華客船「ぱしふぃっく・びいなす」での南紀クルーズは季節外れの台風5号の邪魔が入って、三泊二日が一日減って二泊三日となり、行先も変更されて「ワンナイト伊豆諸島周遊クルーズ」となった。大奮発したクルーズ代金が半額になったのは何よりの儲けものだったのは言うまでもない。
 
出発した12日は快晴ではなかったがまずまずの天気で、浅間山も雲たちを引き連れて見送ってくれた。北陸新幹線に乗って東京駅へ、そして東海道新幹線に乗り換えて新横浜へと、ここまではさすがに何の問題もなかった。その日が在宅勤務だった娘は孫を連れて新横浜へ来てくれた。娘の運転する車は、高架の有料道路を次々と上り下りしながら横浜港大桟橋の駐車場に吸い込まれていった。こんなところではもう運転なんかできないと感じた私に、孫は「もっともっと高い道路を行くんだよ」なんて訳の分からないことを、口を尖らしてつぶやくのだった。この旅行の思い出の一つは孫が「ケンジイ」と言って私を覚えてくれていたことだ。
 
大さん橋は、神奈川県横浜市にある横浜港の港湾施設で明治の末頃から1970年頃までは「メリケン波止場」とも呼ばれていたという。歌にも歌われていた「メリケン波止場」が大さん橋の全身で名実ともに桟橋だったが、2002年に完成した現在の大さん橋は、構造的には桟橋ではなく岩壁であり、平仮名交じりの「大さん橋」が正式な表記。
横浜港の歴史を紐解けば一冊の本になるほどで、膨大な物語がある。現在は横浜港大さん橋ふ頭及び横浜港大さん橋国際客船ターミナルにより構成され、横浜港における国内および外国航路の客船の主要発着埠頭で、横浜港の象徴的存在であると同時に、横浜市や横浜港における主要観光地としても知られている。
私はその巨大さと、船の形をした巨大な建造物に圧倒された。屋上は木製のデッキになっているが部分的には芝生も植えられている。はしゃぐ孫と、しばしの交流を済ませ、いよいよ出航となった。出向のセレモニーはデッキで音楽が演奏され、飲み物はシャンパン。
掛け声とともにテープを投げる。私は桟橋にいる娘と孫めがけてテープを投げた。イメージとしては、そのテープはするすると私の手を離れてきれいな弧を描いて孫のところへ飛んで行くはずだったが、強風にもどされて何とも情けない失速で海の中へと消えてしまう。二度三度と挑戦したが、往年の力も衰えているのは間違いない。それでも、もう一度と四度目に挑む辺りはまだまだ気持ちは若い。まだ3歳前の孫が爺のいる場所を発見できなかったということがせめての幸いだったろうか?
やがて「ぱしふぃっく・びいなす」は動き始めた。ゆっくりと移動しながら横浜ベイブリッジの下をくぐって沖へと進み始めた。初めてのクルーズは幕を開けた。・・つづく
 
 
 

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