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平成の虚無僧一路の日記

祇王と一休 

2018年06月19日 外部ブログ記事
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一休が、琵琶法師の語る「平家物語」の「祇王」の段を聞いて、泣いたのには、もうひとつ理由がある。宿下がりした祇王のもとに、清盛からの使いが来る。仏が退屈しているから、屋敷に来て慰めるように」とのこと。祇王はプライドが許さず、再三固辞する。しかし、祇王の母が「男女の仲のはかなさは世の習い。清盛公に背くことなどできるものではない。母への孝行と思って、行っておくれ」と、涙ながらに云うものだから、「母の頼みには逆らえない」と、やむなく清盛の館へ赴く。祇王は仏御前の前で「仏もむかしは凡夫なり。われらも遂には仏なり。いずれも仏性具せる身を隔つるのみこそ悲しけれ」と歌い舞うが、帰宅すると「こんな屈辱には耐えられない。いっそ死んでしまいたい」と嘆くばかり。妹の祇女も「お姉様に死なれたら、私も都では生きていけない。私もお供します」と、二人でまさに死のうとしているところに、母が入ってきて、「娘二人が老いた母を残して先に逝くのは、五逆の罪。これ以上の親不幸はない」と泣いて止める。ここが「祇王の段」のクライマックスなのだ。この時、祇王 21歳。妹の祇女は 19歳。そして仏御前は 17歳で出家した。一休も20歳で、将来に絶望し、瀬田川に身を投げようとする。その時、母の声が聞こえ、自殺を思い留まった。一休が琵琶法師の語る「祇王」の段を聞くのは、その翌年、祇王と同じ 21歳だった。母を一人残して先立とうとした不幸を、恥じ悔いて、一休は号泣したのだろう。

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