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佐賀城跡 

2011年05月19日 外部ブログ記事
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佐賀城跡

佐賀城はもともと龍造寺氏が居城としていた村中城を改修・拡張したものです。

天正十二年(1584)九州北部を制していた龍造寺隆信は島津・有馬連合軍に敗れて戦死しました。
この機会に龍造寺家臣の鍋島直茂が実権を握りました。

鍋島直茂は村中城改修を計画しましたが、実権を握ったとはいえ村中城は
当主の龍造寺政家の居城であり、直茂は蓮池城が居城であったため、手が付けられませんでした。

江戸幕府政権下で佐賀藩主として認められた後の、慶長七年(1602)から本丸の改修を始めています。

次の藩主鍋島勝茂が慶長十六年(1611)に完成させました。

内堀の幅は最大80mにも及ぶ広壮なもので、5層の天守も建造されました。


城は幾度も火災に見舞われました。
享保十一年(1726)には大火に見舞われ、天守以下本丸建造物の大半を焼失しました。

享保十三年(1728)二の丸に移した御殿などが完成し、藩政は二の丸を中心に行われました。

天保六年(1835)の火災では二の丸を焼失。再び本丸再建が行われ政務は本丸に移されます。

現存する鯱の門・続櫓はこの時、天保9年(1838年)に再建されたものです。


城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。

幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれています。
平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられています。

城が樹木の中に沈み込んで見え、

幾重にも外堀を巡らしており攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきました。
                                  Wikipediaより





鯱の門・続櫓 説明板


鯱の門
早く着いたのでまだ開いていませんでした。






門から見た天守台


本丸を一回りします。

天守台入り口



説明盤


天守台上


枡型を見る


西門方向を望む


本丸御殿(佐賀城歴史博物館)


鯱の門を見下ろす。


天守台を下り西門から本丸へ入ります。



石垣を潜る水路
飲料水用の施設らしいです。



南西隅櫓台


南西隅櫓台から本丸御殿、天守台を見る。


堀。50M以上幅がありそうです。


堀のほうから見た本丸御殿


説明盤


本丸御殿と鯱の門


本丸内から鯱の門


本丸御殿内部


模型


本丸御殿内部(佐賀城歴史博物館)は大きくとても美しかったです。

戦国時代の展示はあまりありませんでした。

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