メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

秋月城 

2011年05月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ(文字をクリック)


にほんブログ村 バイクブログ ツアラーへ(文字をクリック)

クリックしていただければうれしいです。

秋月城跡

築城は鎌倉時代の建仁三年(1203)源実朝が鎌倉幕府三代将軍になった頃です。
秋月種雄が秋月城を築城。

以後秋月氏が続き、16代秋月種実の時代に最盛期を迎えました。

天正十四年(1587)の豊臣秀吉の九州征伐で敗れ秀吉の命令で日向高鍋3万石に減移封されました。



寛永元年(1624)福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より5万石を分封され、
九州征伐以降廃城となっていた秋月城を大幅に改修し、陣屋を置きました。

以後、黒田氏12代が明治まで治めました。

明治六年(1873)の廃城令によって廃城となりました。






秋月城下町。おしゃれなタイル


町図もタイル


ナビ通りに来たら、通常の逆から入ったようです。


垂裕神社(すいようじんじゃ)

主祭神は黒田長興(垂裕明神)

安政六年(1859)10代藩主黒田長元が初代藩主長興の200周忌を機に秋月八幡宮宮相殿に祀ったのが始まりです。

元治元年(1864)八幡宮から秋月城内の仮御殿に移す。

明治5年(1872)から3年がかりで現在地に社殿を建設しました。

下の鳥居



すこし上がると黒門(旧秋月城の大手門)があります。
鎌倉時代に古処山城の城門として造られ、江戸時代初めには秋月城の大手門として移されました。
明治時代からは垂裕神社の神門になっています。700年の歴史がある古い門です。


緑に覆われた黒門もきれいでしたが、紅葉の時期はまた格別でしょう。



階段がきついです。


やっと上の鳥居が見えてきました。


拝殿


神社由来


拝殿と本殿



緩やかな階段で中学校のほうへ下ります。


郭状の場所にちいさな祠や石碑があります。


秋月城の石碑がこんなめだたない所にありました。


表御殿があったとされる秋月中学校


長屋門




堀と石垣。



秋月郷土館



秋月藩の上級武士だった「戸波家」の屋敷地と藩の学校「稽古館」の跡地を用いた郷土館内には「戸波家」の旧家屋と庭園の回りに、郷土美術館と歴史資料館が配置されています。

戸波家 旧家屋



黒田如水の書状がありました。



戸波家甲冑



郷土美術館は秋月史料室と土岐コレクションのコーナーに分かれています。
ルノワール、ピカソ、ジャガール、東山魁夷、横山大観など有名な巨匠の作品があります。
写真撮影は遠慮となっています。

史料室には甲冑、島原の乱の屏風等があります。
黒田家の甲冑。山内家から養子に来た藩主の兜は黒田の藤巴に三つ柏を入れたものでした。
撮影は遠慮しました。



とっぱいの冑がありました。遠慮して急いで撮影したのでぼけてしまいました。 

黒田長政愛用の兜で、初代長興が譲り受けたものです。
口伝に関ヶ原の戦(合渡川の合戦)で長政が着用し敵将と水中で一騎討ちをしたとある。
その際兜の先が水面に見えたので、家臣が水中を流れる長政を発見し 川に飛び込んで救出し事無きを得たといわれています。


結構混雑していました。
こちら側からバイクで入ったら大ひんしゅくを買うところでした。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ