メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

再訪 湯築城跡 

2011年05月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ(文字をクリック)

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ(文字をクリック)

湯築城跡(道後公園)

中世の伊予国守護・河野氏の居城でした。

南北朝期(14世紀前半)から戦国期(16世紀末)まで250年間にわたり
伊予国の政治・軍事・文化の中心でした。

現在の道後公園全体が湯築城跡で中央に丘陵があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城です。


天正十三年(1585)小早川隆景が豊臣秀吉の命により伊予に侵攻。
         河野通直、 湯築城を開いて降伏します(予陽河野家譜)

天正十五年(1587) 福島正則が伊予を拝領し、 湯築城は廃城となりました。(予陽河野家譜)

道後温泉のすぐ近くです。



全体図



道後温泉側の入り口
前に来た時より立派になっていました。


こちらから入りました。
西口(からめ手門)


外堀


湯築城資料館


資料館内の模型


武家屋敷1


内部は連歌の様子が再現されています。


内堀土塁と武家屋敷2


内堀土塁上から内堀を見る。
巡廻させているのか、水はきれいです。


外堀上より復元区域を見る



外堀を切り抜いた土塁展示室。
土塁の中に入って断面を見ることができます。



南側の外堀土塁と外堀


外堀土塁上からみた丘陵


内堀端


遮蔽土塁



グランドから丘陵に上る途中に岩崎神社があります。



大蛇が祀られているとか


展望台に出ます。


展望 


望遠 松山城


丘陵広場。



北側におりました。
湯釜


奈良時代に作られた物です。



北側の内堀 つつじが満開でした。


100名城にもなっています。
松山城と比べられたらどうもなりませんが
中世の城としては堀、土塁がよく残り、発掘、復元も熱心にされています。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ