メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

日々の暮らし

願う。 

2018年11月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

どんよりとした曇り空。
昨日あたりから、この季節らしい寒さになってきた。
夜には、今季初、ガスストーブを点火したけど、
10分程で、室内25℃となり、ストーブはちと早いかも…。

先日、拉致被害者である蓮池薫さんの講演が、近くであったので、行って来た。

1時間半、聞き入ってしまった。
きっとこの講演内容で、何十回、何百回、いや何千回、何万回もされてきたのだろう。
よどみなく、そして、鬼気迫るものを感じた。

そのなかで、
拉致されてから数年たった頃
平壌市内を奥様とドライブをしていたら、
日本人がロケをしているのを見つけた。
何故、日本のロケかとわかったかは、当時人気俳優の
中村敦夫さんがいたからだという。
彼はフアンだったらしい。

その時にカメラの前に行って、
「拉致された蓮池薫です」と、名乗るチャンスはあったが、
ロケ現場にも蓮池夫妻にも、監視が厳しかった。
もし、そういった行為をすれば、そのテープは日本では放映されず、そして、その後には間違いなく制裁がある。

自分はどうしても生きて日本に帰りたかった。という。

今も尚、拉致被害者は、日本に帰れることを夢みていると、結んでいた。


今から40年程前、
当時私は会社の総務課で経理の仕事をしていた。
今と違って、コンピュータ、PCなど、考えられない時代。
FXさえなかったように思う。
経理の仕事といっても、取引先の振込みを記入した、
バカでかい用紙を取引銀行に持って行くのが主な仕事。
若い女子社員の雑用経理。

銀行では、処理が済むまで1時間位は常に待ったように思う。
で、銀行に置いてある週刊誌をいつも読んでいた。

その時に、海岸沿いから、アベックが忽然といなくなる記事が毎週のようにあった。今でも鮮明に覚えている。

不思議な事件やと当時から、記憶に残る。

あれから…


拉致被害者が一刻もはやく日本に帰れることを願うしかない。



拍手する


この記事はコメントを受け付けておりません

PR







上部へ