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雑感日記

神嘗祭と新嘗祭 昨日は勤労感謝の日 

2018年11月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★昨日は勤労感謝の日の祝日だった。
朝からジムに行き筋トレをしてそのあとランニングさらにプールで泳いで昼前に家に戻った。
祝日だと解ったのはいつもの通り8時10分に家を出たのだが三木体育館には5分ほど早くついてしまった。休みで通勤のための道の混雑がなかったのである。
『勤労感謝の日』だとかどうも馴染めない。
昔の新嘗祭で、神嘗祭と共に小学生の時に覚えた。『神嘗祭は神様が、新嘗祭は天皇陛下が今年出来たお米を召し上がる』と覚えたが満更間違いでもないらしい。最近の方、この字が読めるのだろうか? ニイナメサイ と カンナメサイである。
私たちのこどもの頃の祝日は、紀元節・天長節・明治節など新嘗祭や神嘗祭は休みだったのかどうか?
いずれにしても、最近は毎日が休日だから、別に祝日も有難くはない普通の1日なのである。
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★それにしても昨日は、結構忙しかった。
 朝、『カワサキジェットスキー物語』をスタートさせたら、Facebook にいっぱいコメントが来て、その返事を書いたり、田崎さんからも珍しい写真などいっぱいの情報を頂いたし、福井昇くんからは、私の質問に丁寧に答えて頂いた。
人間の記憶はホントに頼りない。
昨日のブログにも書いたが、明石で『ジェットスキーを単車事業部の正規の事業にしよう』と熱心に言いだしたのは武本一郎さんである。
これは間違いないのだが、当時の単車事業部の明石には、ジェットスキーの担当する人など一人もいなくて、たまたまオーストラリアの社長から戻ってきた鶴谷将俊さんに『ジェット・スキーをやってくれ』と言ったら突然のことで憮然とされたことだけはよく覚えているのだが、発動機から福井昇くんをもらい受けたのと、どちらが先だったのか、全く解らなかったのだが、福井くんからの返答で、鶴谷さんが先だったのが明確になったのである。
カワサキのジェットスキーがアメリカ以外の国々で順調に伸びて行ったその中心になってくれたのは鶴谷将俊さんなのである。
彼の活躍がなかったら、こんなに上手くは行かなかったと思う。当時の熱っぽさはホントに素晴らしかった。
そんなことを思っていたら、午後田崎さんからこんな写真を頂いた。
こんなコメント付きである。
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1987年7月30日 直入町芹川ダム 「森と湖の祭典」J/S 試乗会 
ラジオ大分の女性達と鶴谷課長 神戸大学のプロライダーを連れていきました。
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?私は、記録は持っているのだが、当時の写真がなくてどうしようと思っていたのだが、田崎さんにこんな写真を送ってもらって大助かりである。
 勤労感謝の日に、当時JSプロジェクトをいろいろ援けて頂いた鶴谷・福井さんに改めて大いに感謝したいと思っている。
 福井さんから頂いた資料を見ると、発動機のジェットエンジン開発には、私と同期のお二人が直接担当されていたことも解った。
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 資料不足でなかなか書けなかった『カワサキジェットスキー物語』もいろんな方のご協力で何とかなりそうである。
 今年の『勤労感謝の日』にはこんなことがあったと、多分忘れない1日になったと思っている。
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