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「安政の五ヵ国条約(不平等条約)」締結経緯 

2019年01月05日 外部ブログ記事
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幕末〜明治維新1「安政の五ヵ国条約(不平等条約)」を締結

 ☆「その日が来ないこと」を願い、あるいは「その日が来ること」を考えずに過ごす
 ☆いざその日が来てから泥縄的に対処したひどい体たらくに陥った結果です
 ☆幕府はアメリカと結んだものとほぼ同内容の条約をオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結ぶ
 ☆「安政の五ヵ国条約」この不平等条約を解消するのに、その後、日本は大変な苦労をする
 ☆世界情勢に背を向けて、ひたすら1国平和主義を唱えた幕末の日本
 ☆日本人特有の「言霊主義」が混ざり合った結果このような無様な事態になった

幕府狼狽
 ☆ペリーは大統領からの国書(要求)を、半ば無理矢理に幕府に手交した
 *日本はアメリカ船に石炭と水を供給すること
 *アメリカの難破船や乗組員を救助すること
 *下田と函館を開港し、アメリカの領事を駐在させることなどの要求
 ☆幕府は1年後に返答すると答えペリーを帰国させた
 ☆アメリカ艦隊が去り直ぐに将軍家慶が死亡、息子の家定が13代将軍となった
 *父の家慶は、家定には将軍職は務まらないと考えていた
 ☆家慶は亡くなる前、「今後の政治は徳川斉昭と阿部正弘に任せる」言い残した
 *徳川斉昭(水戸藩主)は開国に大反対で、アメリカとの戦争も辞さずとの攘夷論者
 *阿部正弘(備後福山藩主)は、攘夷は国際情勢を無視した考えだということをわかっていた
 ☆老中阿部は、全国の諸大名に忌憚のない意見を出すようにと命じた
 *大名、旗本、御家人、町人にまでアイデアを求めた
 *江戸幕府始まって以来の画期的なこと
 ☆幕末に起こった下級武士による討幕運動は、下々に意見を求めたことがきっかけでした
 ☆今の幕府では、国は守れないのではないかという危機感を、多くの者が抱いた
黒船来航で、幕府は江戸湾の海岸警護を周辺の藩に命じる
 ☆各藩とも武具を満足に所持しておらず、慌てて出入りの商人に武具を集めさせた
 *足軽や従卒の数も足りず、斡旋屋に依頼して頭数だけを揃えた
 ☆直参の旗本や御家人
 *異国と一戦交えるかもしれない状況で、多くの家には甲冑すらなかった
 ☆ペリーの兵隊が江戸湾の水深を測るという行動に出た
 *防備にあたっていた川越藩兵はそれを阻止しようとした
 *幕府から「軽挙妄動を慎め」と命じられていた浦賀奉行によって押しとどめられた
 ☆自国領内の海を外国人が堂々と測量することを黙認した幕府(腰抜け)
 ☆現代の日本で起きている
 *尖閣諸島の沖で、中華人民共和国の海警局の船の通過を看過している状況
日本の開国
 ☆ペリーは、前回の倍近い7隻の大艦隊を伴っての来航する
 ☆アメリカを恐れた幕府は、「日米和親条約」を結び2百年以上続いた鎖国の時代が終わりを告げた
 *その後、イギリス、ロシア、オランダとも求められるまま、幕府は和親条約を結ぶ
 ☆幕府の威信はぐらつき、それを象徴するかのように「安政大地震」が起こる
 ☆アメリカから外交官のタウンゼント・ハリスが来日し通商条約の締結を迫る
 *アロー戦争で、欧米列強の力を見た幕府
 *アメリカとの条約を結ぶことを決め、朝延に勅許を求める
 *徹底した攘夷論者である孝明天皇は拒否した
 ☆全国の大名も、条約調印には反対意見が多かった
 *大老井伊直弼は、朝廷の勅許を得ないままに「日米修好通商条約」を結ぶ
 ☆条約は日本にとってきわめて不利な二つの条文を含む不平等条約だった
 *「アメリカの領事裁判権を認める」
 *「関税自主権がない」(関税率は、輸入品平均20%、輸出品5%)
 *国内の綿織物産業が大打撃を受ける状況に陥った。
 *開国した途端、外国人たちが日本へ来て、銀を金に換えて持ち帰るという事態も起きた
ロシアと日露和親条約を締結
 ☆今日の日露関係にも大きな影響を及ぼす重大な内容が含まれていた
 ☆伊豆の代官江川太郎左衛門
 *長崎で海防を学び、後に江戸湾に、国防のための洋上砲台を設置した先進的な人物
 *幕府にかけあい、腕利きの職人や資材を伊豆に集めた
 *ロシアの乗組員らとも協力し、日本史上初の西洋式帆船を完成させる
 ☆この後に行なわれた日露の交渉で、北方四島は日本の領土と定められた
桜田門外の変
 ☆将軍家定が三十四歳で死亡し、養子である12歳の家茂が14代将軍となった
 ☆家定には子供がいなかったため、幕府内では以前から継嗣問題が起こっていた
 *水戸藩主の徳川斉昭ら幕政改革派は一橋慶喜を推した
 *大老の井伊直弼ら幕府保守派は、紀伊徳川家当主の慶福(家茂)を推し継嗣となった
 ☆家茂は将軍となったが、政治の実権は引き続き大老の井伊直弼が握っていた
 ☆幕府が朝廷の勅許を得ずにアメリカと通商条約を結んだことで、反幕府の気運が高まる
 *尊王攘夷の志士たちが京都に集まり、井伊直弼を打倒するための謀議
 *孝明天皇は、井伊直弼を排斥する密勅を水戸家に下した
 ☆安政の大獄
 *井伊直弼は密勅に関係した人物や、自分の政策に反対する者たちを次々と処罰する
 *吉田松陰らもこの時、処刑されている
 ☆苛烈な策が反発を呼び討幕の気運も生まれ
 *徳川斉昭と水戸藩主慶篤に対する処罰は水戸藩士を激怒させた
 ☆「桜田門外の変」のテロ事件で、井伊直弼は殺される
 *将軍がいる江戸城の前で大老が暗殺されるという前代未間の事件
 *幕府の屋台骨を大きく揺るがせた
公武合体戦略
 ☆老中は、早急に幕府の威信を回復させなくてはならなかった
 ☆反幕の矛先を和らげるために、公武合体を画策した
 *孝明天皇の妹である和宮親子内親王を将軍家茂に嫁がせるというもの
 *和宮も孝明天皇も拒絶するが、幕府は「攘夷を実行するから」という実現不可能な約束
 *家茂と和宮の婚儀が行なわれる(家茂、和宮ともに15歳)
 ☆「坂下門外の変」で幕府の権威はさらに失墜した
 *水戸藩士が江戸城に向かう老中の行列を襲い、老中を負傷させた
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出典、『日本国紀』










「安政の五ヵ国条約(不平等条約)」を締結
(ネット愛国保守他より画像引用)

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