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尺八と横笛吹きの独り言

「道南ナット節」と「伊那節」 

2019年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●道南ナット節
23年も前のH7に自分で作った譜を、都山譜に変換した。この曲はよく知っている唄で、自分でも2尺3寸位で唄ってきましたが・・・・・譜面に表わしてみると難航するものです。
河童さん譜面をジット見ながら、自分で覚えたものやら、YouTube音源を聞きながらの採譜。





●「道南ナット節」歌詞

(ハーナットナット)
〽
波の花散る北海を
思い出したら又来てね木彫りの小熊を共にしてアリャご無事で内地へ戻りゃんせ(ハーナットナット)


〽
誰に買われて行くのやらおばここけしが片えくぼ知らぬ他国でふるさとのアリャ夢見て泣くだろう明け暮れに

〽連絡船のドラが鳴る函館港は涙雨逢うは別れと知りながらアリャなんで又鴎がなくのやら

〽来年来るやら来ないやら来ても又逢うやら逢えぬやらわたしゃ深山の水車アリャ花咲く春までくるくると



●「道南ナット節」について
 囃し言葉の「ハーナットナット」から命名された。明治から大正にかけて、北海道や樺太(からふと)の土木人足の間で盛んに唄われた。歌詞が非情に多い。七五調四句の今様形式をもつ明治の流行歌で、後に北海道のカニ缶工場の女工さん達も盛んに唄うようになった。 道南ナット節は杵渕一郎によって作詞され、初代浜田喜一が編曲し唄い広めた曲である。この唄の元唄はラッパ節である。後に「女工節」となり、山形の「真室川音頭」に変化する。ラッパ節がナット節に変わり女工節、道南ナット節さらに真室川音頭に変化した。ナット節は樺太(写真)で爆発的に唄われたらしい。

「日本の民謡」秋田・みんよう企画 日本民謡おさらい教本(上巻)  より


●過去fueブログ「道南ナット節」
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/36849333.html


●「伊那節」の都山譜

過去にアップした「伊那節」は下書きのままでしたが、再度、しっかりと書いてみた。
過去の伊那節の譜面もこれに変えた。この唄はむずかしい唄です。採譜もエライ難航した曲です。
こうして一曲一曲・・・・・譜に書いて、自分のものにするしかない。そうしないと入魂できない。
入魂すれば暗譜が少しできてきます。あとは舞台で場を踏むしかない。



●「伊那節」歌詞
♪ 天竜下れば 飛沫がかかる 持たせやりたや 持たせやりたや桧笠 ア ソリャコイ アバヨ

♪木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の なみだ米 ア ソリャコイ アバヨ

●「伊那節」(長野)について
《木曽へ木曽へと 付け出す米は 伊那や高遠の 余り米》
飯田市を中心に唄われる祝儀唄。木曽谷から伊那谷、飛騨、美濃、三河の山間部一帯で唄われ、酒席でも唄われた「御岳節」が元唄。元禄8(1694)年、伊那谷と木曽谷に、権兵衛峠越えの道ができた。この権兵衛街道を往来する馬子や、麓の茶屋女が唄っていた唄に「御岳」「御岳山」と呼ばれる唄があった。 この唄を明治41(1908)年春、上伊那郡西春近村の唐沢某が、長野市の権堂芸妓に唄と踊りを覚えさせ、共進会を作った。その後、県下で広く唄われるようになり、伊那の唄となる。昭和の初め、美人で美声の鶯芸者・市丸(1906-)が唄ってヒット。全国に知られた。http://www.1134.com/min-you/02/k1901.shtml

【伊那節】長野県伊那地方の民謡。祝儀歌・盆踊り歌としてうたわれ、古くは御嶽山(おんたけさん)節といわれた。「天竜下ればしぶきに濡れる」は大正5年(1916)の新作歌詞。 

●過去の「伊那節」fueブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/55589579.html

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