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パトラッシュが駆ける!
嗚呼 自家撞着
2019年05月11日
テーマ:テーマ無し
自分の考えを、多くの人に伝えたい。
という欲求は、誰にもあるであろう。
今なら、ブログやツィッターがあり、簡単に発信が出来る。
それは、ソーシャルメディアの発達がもたらした、
一つの効果であり、喜ばしいことだ。
発議や提言は容易だが、しかし、どれだけの人が、
耳を傾けてくれるだろう……
ということになると、そこはそれ、無名人の悲しさ、
フォロワーの数には、当然のように限りがある。
ややもすると、湯船に漬かりながらの鼻歌と同じ、
自己陶酔に終わりかねない。
より広く、自説を披歴したい……
となれば、読者の多い媒体を選ぶよりない。
そこで登場するのが新聞だ。
近年、発行部数を減らしているとはいえ、それでもなお、
メディアの首座にある。
これを利用しない手はない。
私は「広く世の人に伝えたい」と思う時には、
文を五百字ほどにまとめ、新聞の投稿欄へと送っている。
但しそれが、すんなり掲載されるわけではない。
編集部には、毎日、膨大な数の投書が寄せられる。
それを担当者が選別する。
その目に叶うためには、先ず、
論旨が明確でなければいけない。
さらに、平明な文であることが求められる。
品位に欠けるものは、もちろんダメだ。
昨今のツイッターに見られる“吐き捨てる”ような文、
あれらはいくら勇ましくっても、当然のように外される。
掲載されるのは、これで案外、難しいのである。
* * *
テーマにより、取り上げられないものもある。
例えば、人権に関わる場合だ。
人を貶める、あるいは、弱者を鞭打つような文は、
ことに載らない。
具体的に言えば、生活保護受給者に対し、
怠けるな、もっと働けと、努力を促すような文だ。
一方で、権力への批判、これはいくらやってもいい。
それこそが、社会の木鐸たる、新聞の使命であるからだ。
新聞にはまた、オピニオンリーダーとしての、
強い自負があり、掲げる理念がある。
例えば死刑制度だ。
将来的に、これを廃止しよう。
廃止に向け、国民の気運を醸成しよう。
という使命感は、新聞各紙にある。
一方、この国では、死刑制度の維持を望む国民が、
依然として多い。
それは、各種の世論調査にも、現われている。
新聞は、その理念に基づき、
死刑廃止を提言する投書は載せても、死刑の存続に、
積極的に賛成するそれは、ほとんど採用しない。
この事を、私は、自身の経験から知っている。
実を言えば、私は死刑制度の存続に賛成であり、
たまたま投書した、ある著名な死刑囚の、死刑執行を支持し、
是認する文が、珍しく載った。
しかし、当日のその欄には、執行に反対する投書も載っていた。
つまり新聞は、両論併記の形を取り、私の投書は、
両論のバランスを取るために利用された。
と私は今でも思っている。
もう一つ、いくら投書しようが、決して載らないテーマがある。
高齢運転者に対する、免許制限の問題だ。
八十を超え、なお運転している人が居る。
当人に、免許返上の意思がない。
家族も、これを説得できない。
一方で、高齢運転者による交通事故は多発している。
先日も、幼い女の子と、その若い母親が、一瞬にして、命を奪われた。
容疑者は八十七歳。
エリート官僚を経て、民間会社に天下りし、要職を務めた。
東京という、交通至便の地に住んでいる。
そもそも、車を運転する必要がない。
にも拘らず、繁華街に車を乗り入れ、事故を起こした。
これに怒りを覚えない市民が居るであろうか。
免許の返納について、当人の自主判断に任せておいたのでは、
埒が明かない。
家族の説得にも、耳を貸さない。
となれば、一律に年齢制限を課すよりあるまい。
山間部などの、交通不便な地に住む人々には、
別に一定の配慮を行ってでも、やるべし。
そうでないと、また痛ましい事故が起きる。
ということを書いた。
しかしながら、やはり載らない。
高齢者の運転ミスによる事故は、毎年起きる。
ではなく、昨今では“毎月起きる”感がある。
その度に、私は怒りが湧き、新聞へ投稿する。
そうしては“ボツ”になっている。
新聞は、何故にかくも、高齢運転者を擁護するのか……
高齢者こそ、新聞購読の良きお得意様だから……
なんてことを、勘ぐったりしている。
尚、私自身は、とっくに免許を返上してしまっている。
私は短気者であり、やることが早い。
そして、だからこそ、他の高齢運転者を批判することも出来る。
* * *
「あーたは、言っていることと、やっていることが違います」
「………」
「だって、そうでしょ。高齢者の運転を責めながら、
自分は乗ってるじゃないの、KさんやMさんの車に」
「それはねぇ……そのぉ……」
「免許の返納を、勧めるべきじゃないの? あの人たちにも」
「それはなぁ……人には、それぞれ、事情ってものがあるんだし……」
「せめて、乗らなければいいでしょ。あの人たちの車には」
「そうも行かんのだよ……」
私は、妻に責められている。
私には、八十代の友人が二人居て、これが揃いも揃って車好きだ。
それぞれ、地方都市に住んでいて、私が訪れると、
駅まで車で迎えに来てくれる。
そのまま、観光に案内してくれたりする。
それを妻が危うんでいる。
「事故が起きてからでは、遅いのです」
普段私が力説していることを、そっくり妻が言っている。
「何時死んだって、別にかまわないよ、わたしゃー」
「あーたは、それでいいでしょう。
問題は、KさんやMさんが、事故を起こした時です。
死者が出た時に、あーたは助手席に居て、何も感じませんか?」
私は妻に、全面降伏せざるを得ない。
私はこの問題について、なまじ新聞投稿など、
しない方が良いのかもしれない。
もしも掲載されれば、私は、その矛盾を突かれ、
さらなる弾劾を受けるだろう。
* * *
上に述べたことは、特殊な例です。
私が、特殊な人間(変人とも言う)だからです。
健全な市民であられる皆さんは、私の言説に惑わされず、
どうぞ思いの丈を、新聞に投稿なさって下さい。
載るか載らないか……
それは、あなたの抱いている、その思いの深さ次第です。
「上手に」ではなく「心を込めて」書けば良いのです。
狭き門と申し上げました。
しかし実は、かなり広き門でもあるのです。
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お読み流し下さい
oomotoさん、
地方には地方の事情があると思います。
必ずしも、画一的な判断は、出来ないと思います。
私は、自分の住む東京を基準に、この問題を考えています。
決して地方の方々に、私の考えを強制するつもりはありません。
2019/05/11 19:27:25