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宇佐八幡神社 松山市 受け継がれた山根屋源四郎傳篤の構え型 

2019年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

宇佐八幡神社 松山市
受け継がれた山根屋源四郎傳篤の構え型

              小山に神社が鎮座


              尾道構え型 玉持ち


                良い姿です




            頭の上まで被さる大きな尾


傾けた身体の様が良いです。


            戊戌 天保九年(1838)


             今治 石工 中谷元右衛門
今治の石工は天保には尾道型を取り入れた素晴らしい狛犬を造って
いたようです。


山根屋源四郎傳篤が造った尾道の大きな構え型は広島には殆ど無く愛媛で多数受け継がれています。
宇佐八幡神社の狛犬はこの一対のみです。


神社入口


石段


石段上から


由緒


往昔、阿和寝の浜の阿和意坂に日女宮の古社があった。
延暦23年6月17日安芸厳島から三女神を勧請し合祀した。
国守河野権守が国中へ十四社を勧請した一社で、延長元年8月15日奉勅によって河野伊予守が豊前宇佐八幡宮を勧請した
十八社のうちの一社でもある。


天慶年中に河野好方が祈願して神護を得、藤原純友を討って奉幣し治承年中には河野通孝、通員が諸将を率いて参籠して戦捷を祈願したが、河野通清は奴入道西寂のために粟井坂にて戦死したので、
天暦年中河野四郎通信は祈願の末、西寂を始め平氏の党を討ち、
亡父の怨魂を慰めたので道後七郡の守護に補された。
拝殿内





本殿

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