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パトラッシュが駆ける!

冬の初め 

2019年12月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

サロンの前を、行きつ戻りつする男がいる。
囲碁をやる者であろう。
でなければ、この小さな碁会所を、しげしげと眺めたりしない。
私はこれを、衝立の隙間から見ている。
外からは、私の姿が見えない。
見えないはずだ。
オフィシャルとプライベートを分けるために、もっと言えば、
私の私生活を覗かれないために、衝立を置いてある。

男は、意を決したように、ガラス戸に近付いた。
しかし開けない。
煮え切らない男だ。
覗き込むに留めている。
ガラス戸には、コピーやポスターが貼ってあり、見えにくいはずだ。
男は腰をかがめ、今度は下から、サロン内を睨(ね)め回している。
これが女性客の集まる、例えば美容院なんかだったら、
警察に通報されるだろう。

こんな時、並の席主なら、出て行って話しかけるものだ。
「どうぞお入り下さい」
気の済むまで、内部を見てもらう。
さらに「一局いかが?」と誘う。
他に客は居ないけれど、席主が自らお相手つかまつる。
「いえ、今日はお金は要りませんから」
と言えば「じゃあ」となるはずだ。
そして、碁を打ちながら、なにくれとなく話す。
前名人、張栩さんの話題なんかが、よろしかろう。
奥さんは、かつての女流名人、小林泉美さん。
近くに住んでいて、一家と私とは多少のつながりがある。
と言えば、このサロンの箔付けにもなる。

話していれば、親近感も、きっと湧くであろう。
これを機に、固定客となってくれるかもしれない。
つまりは営業策の一環ということになる。

しかし私は、それをやらない。
私は、世の並の席主ではない。
このサロンを商売と考えていない。
そもそもが道楽でやっている。
売上なんか、あってもなくてもいい。

世の普通の商売では、客が店を選ぶ。
私のサロンは普通でないから、主が客を選ぶ。
気に入らない客は、断わってしまう。
その口実が「会員制」だ。
「会員以外の方は、ご利用できません」
こう書いて、店内に貼ってある。
私のメガネに、適った客だけを受け入れる。
これが実は、大変に気分が良い。
昔金物店をやっている頃は、客の無理難題を聞き続けていた。
その恨みを、今こそ晴らしている。
というところがある。

件の男は、結局“覗き”までであり、戸を開けるには至らなかった。
きっと何かを感じたのであろう。
こりゃ、世間の並の囲碁サロンではない。
下手に関わり合わない方がいい。
となったに違いない。

去られてみると、少々さびしい。
出来ることなら、こちらから断わりたかった。
この辺、見合いと同じであり、どうせ破談になるなら
「ご縁がなかったようで……」を言われる前に、言いたかった。

 * * *

男の姿が消え、私は再び、コタツに沈んだ。
実は体調がよくない。
咳が出る。
特に夜間において、頻りに出る。
これ実は、持病のようなもので、毎年冬の初めに発症する。
またか……
私は近所のK医院へ駆けこむ。
K医師の「どうしました?」を聞くや、私は毎年同じセリフを繰り返す。
咳が出ます。
夜間において、特にひどくなります。
毎年冬の初めに症状が出ます。
その度に、こちらに伺っています。
その度に「気管支炎」との診断を戴いています。

K医師は、パソコンの画面を見ながら、これを黙って聞いている。
今時のカルテは、電子化されている。
私の来院歴が一目瞭然であろう。
「またか……」
医者だって思うであろう。
それでも「診てみましょう」と言い、聴診器を手に持つ。
それを胸に押し当て、さらには背中にも当て、やがて
「では、お薬を出しておきましょう」と言う。
その間、僅か三分ほど。
さながら儀式みたいなものだ。

薬局で薬をもらい、家に帰ってそれ飲み、私はコタツに入っている。
来客はない方がいい。
それならいっそ、ガラス戸にカギをかけ、本日休業を決め込めばいい。
しかしそれはやりたくない。
世間とのつながり、これを完全に断ってしまいたくない。
そして、それをやれば、私は完全なる病人ということになる。
今は半病人に留まっている。
事と次第により、客を迎え撃つことも出来る。
良い婿入りの口があれば、行ってもいい。
くらいの気力はある。

 * * *

結局、本日の来客は0であった。
私は朝から、妻以外の人と口を利いていない。
そろそろ夕食の時間だと、コタツから抜け出た時であった。
「こんばんは」
制服姿の女子が一人入って来た。
M子ではないか。
ただ今高校二年生である。
最近とみに、女らしくなった。

「報告に来ました」
珍しく改まって言う。
「東京都の団体戦で、二位に入りました。
次、関東大会に進むことになりました」
「おう」
M子の棋力は、三段だ。
他メンバーのそれは知らないが、同程度の仲間が揃えば、
そこそこの戦績は残せるだろう。
番狂わせではあるまい。
「おめでとう。次頑張れよ」
「ありがとうございます」
碁をやる者は、皆礼儀正しくなる。
「おい、この詰碁やって行け」
「はい」
壁に掲げた、詰碁の問題を指差したら、M子の奴、
一瞥しただけで、正解を言った。
さすがに三段だ。
弟子ながら、大したものだ。

本日、無為の一日であった。
最後に朗報が届いた。
こんなこともあるから、私はサロンに居続けている。



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愛の鞭で

パトラッシュさん

みさきさん、
吉野先生から、私を思い出して下さいまして、ありがとうございます。
先生、アフターの夜会でうまくダンスを踊れたかな?と、踊れない私は、余計な心配を致しております。(笑)

M子は、小学一年の時から、私が手塩にかけた生徒で、当サロンの出世頭でもあります。
その成長はうれしいです。
しかし、手放しで喜ぶわけにも行かず(今後のためもあり)敢えて厳しく接しております。

気管支炎、快方に向かいつつあります。

2019/12/08 05:58:11

笑顔

みさきさん

御弟子さんの快挙は、お師匠様にとって何よりのお喜びですね。一日を、笑顔で結ばれたことと存じます。 きっと、こんな笑顔だったかもと、よく似たお方がストックホルムで燕尾服を試着する映像を見ておりました。
気管支炎、お大事になさってください

2019/12/08 04:04:31

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