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たかが一人、されど一人

目的と手段 

2020年08月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日は首相辞任表明で午後からテレビを観る時間が多くなり、夕方涼しくなってからも出掛けず、結局1日歩行数が普段の半分5千5百歩に留まるという事になってしまった。この点は大いに反省すべきだ。1時間以上に亘る記者会見も初めから終わりまで見届けたが、未練がましさを感じるばかり。安倍氏は何故首相になったのだろう?特に一度は辞めて再び返り咲いたわけだが、記憶にあるのはスキャンダルの連続で、検察に心があれば牢屋に打ち込んでほしいと思っていた。夜に入ってから様々な人が感想を述べていたが、印象的だったのは財界人の全てが安倍氏の功績を讃え謝意を述べていたことだ。一般人は二度の消費税増税に辟易していると思うが、財界人は法人税を引き下げてもらった上に株価まで引き上げてくれたのだから当然かも知れぬ。検察はどう思っているか知らぬが、今回の退陣が政界からの完全リタイアであれば、全てのスキャンダルがチャラになっても仕方ないように思った。安倍氏も辞任を決断するに当たって、身に降り掛かっている不始末に関して司法当局の出方を慎重に探ったことだろうう。その上での未練たらしく「一議員として・・・」なんて言ったことになる。安倍氏に限ったことではないが、日本の政治家の多くが政治家になる目的が曖昧のように思う。特に世襲議員にこの傾向は強いかもしれぬ。極端に言えば政治家になることが目的化しているのだはないか。嘗て一度政治家になり、参議院議員としてその甘さを享受した後、タレントに変身した杉村太蔵氏がいる。彼はアルバイトで生活で苦労していた時に偶々自民党の比例候補に応募してラッキーを掴んだ。彼の生き方ははっきりしている。「兎に角お金がほしい、その手段として自民党議員もありか?」は決して悪いことではないし、ある意味で己を弁えているとも言える。こんな事を書いた理由は、最近また小泉進次郎氏が度々テレビで報道されるからである。彼を観るたびに何故か杉村太蔵氏を思い浮かべてしまうのだ。杉村氏の場合は目的が先ずあり、手段として政治家になったことがはっきりしている。小泉氏が手段として政治家の道を選んだのは何故だろうか?親父が「地盤、看板、鞄を譲るから政治家を継げ。」と言ったからなったまでかもしれぬ。兄貴は芸能界でそれなりに頑張っているし、俺も政治の世界でそれなりに頑張ろうと努力の最中かもしれぬが、この程度の人物が次期首相候補として取り上げられるのだから日本の政界も気楽なものだ。他人ことは偉そうに言うが「お前の生きる目的は何だ?」と問いただす声が聞こえそうだ。今朝はその事を考え続けてやっと答えが見つかった。内容は恥ずかしくて書けないのでご容赦願いたい。

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