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平成の虚無僧一路の日記

「心の闇」って? 

2011年09月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「心の闇」で検索していたら、ちゃんとまとめてくれている人がいた。

「心の闇」という言葉使いは、平安の昔からあったらしい。

「人の親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」『源氏物語・桐壺』
「尽きもせぬ 心の闇に 暮るるかな 雲居に人を見るにつけても」『伊勢物語』

それは、「親が子を思う心」や「恋心」、「盲目的な心」という意味だった。

『金色夜叉』の尾崎紅葉が、明治26年「心の闇」という小説を発表している。

「盲目の按摩佐の市が、宿屋の一人娘お久米にほのかな恋心を抱いていた。
しかし、お久米の方は、盲目の按摩などは、結婚対象外。やがて、縁談が
あってお久米は結婚する。悶々とする左の市。 佐の市は夫婦の新居の周りを
うろうろしているところを警官に見つかり、不審人物として連行されてしまう。
その後お久米は佐の市に会うことはなかったが、あるときは死人のよう、
あるときは怪物のような顔をした佐の市の悪夢を見るのだった」。
 
最後の一文「 言はずして思ひ、疑ひて懼る。是も恋か、心の闇」で終わる。
「心の闇」には「狂おしさ」「異常心理」が含まれてくる。

島崎藤村の「若菜集」(明治30年)の中の「おさよ」という詩には
こんな一節がある。

流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん
(中略)
愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り

悪をわれの吹くときは
散り行く花も止りて

慾の思を吹くときは
心の闇の響あり

うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ

ここでも「心の闇」は「慾の思」や「ものぐるひ」のような狂おしさと
結びつけられている。


最後の一節「慾の思を吹くときは 心の闇の響あり
うたへ浮世の一ふしは 笛の夢路のものぐるひ 」

むむ。昔の私の尺八の音かも。尺八にはそんな響きがある。

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