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七十年経っても忘れられない雑誌の記事「ユダヤ人父子の再会」 

2021年02月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



バスの車掌をしていた七十年ほど前に、回し読みした雑誌の記事が一つなぜか忘れられない私。
もしかしたら実話ではなく、小説であったかもしれない物語、でもあの時代、現実にたくさんのユダヤ人家族が再会し、または再会できなかったわけで、これはありうるお話だと思います。


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70年前に雑誌で読んで忘れられない物語があります。ナチスによって引き裂かれたユダヤ人親子の物語です。


アウシュビッツに限らずナチスは方々の収容所にユダヤ人を押し込め、多くを虐殺しました。
ナチスが壊滅すると連合軍は各収容所から生き残った人たちを救い出しました。
そんな時代の物語です。


あるユダヤ人の男性が収容所に送られた妻子を探し歩いていました。
彼が仕事で外国に出かけて居た留守に、若い妻と3歳の息子はユダヤ人強制収容所に送られてしまったのです。
戦争が終わって、妻子の消息を訪ね歩いた男性は、ある収容所で妻が死んだことを確認しました。しかし子供は生き延びたかもしれないのでした。
収容所から救出された孤児達は、各地の孤児院で、くらしていました。訪ね訪ねて息子かもしれない子供を見つけました。
しかし孤児になった時あまりにも幼かったため、本当の名前もわかりません。いくら問いかけても、収容される前の記憶は出て来ません。両親と過ごした以前の家のことも全く覚えていないのです。
収容所での恐怖体験がそれ以前の記憶を消してしまっているようでした。
男性は何かヒントがないかと、定期的に孤児院に通い、外に連れ出して会話を試みますが、子供は何も覚えていません。いつも失望して別れるのでした。


DNA鑑定なんて無かった時代、我が子であるという確信が持てない孤児を、男手で育てるわけにはいかないので、男はこの子に会うのをもう諦めようと思いました。
 
今日会いに行ったら、もうおじさんは会いに来られないのだと告げよう。そう思って孤児院に向かいましたが、時間が早すぎたので、街をぶらつき、射的場に入りました。
そこで目にしたのがピンクのクマのぬいぐるみでした。


以前幼い我が子が「ピンキー」と呼んで毎日抱いていたクマのぬいぐるみと同じものでした。
「あれを撃ち落として今日のお土産にしてあの子とは別れよう」


彼はピンクのクマを持って孤児院に行きました。


縫いぐるみを見た男の子は目を輝かせて叫びました!
「あっピンキーだ!ピンキーが帰って来た!」




おしまい


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こういう物語です。70年前から忘れられないのです。我が子とはっきり分かって、二人で暮らせるようになったであろう親子の、ハッピーエンドが猛烈に嬉しかったから、忘れなかったのでしょうね。このお話なら何時だって、すらすら語れますよ。原稿なんてありませんけど。

ユダヤ人の迫害の歴史はナチスが初めてでは無いけれど、第2次大戦中の迫害は、アンネの日記に代表されるような酷いものでしたね。
2度とこういう愚かしく恐ろしいことが起きませんようにと祈るばかりですけれど、現在もロヒンギャの民だけでなく世界にはたくさんの迫害を受けて彷徨う人々がいますね。どうして、歴史はこうも繰り返すのでしょう。世界中が自分と異なる人々を阻害しない優しい地球になってほしいです。

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