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10年前の叫び「命の次に大切なもの」 

2021年03月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東日本大震災から10年。毎年でも伝えたい物語。


津波で海沿いが壊滅した後、福島県新地町にずらり並んだ仮設住宅。
4畳半二間にろくな収納もなく狭いキッチンと脱衣所のないお風呂。


その仮設が立ち並ぶ中で、元旅館の女将であった村上美保子さんは、町内の漁師さん達の話を聞きました。
その話を一つの物語に、纏めたのが、「命の次に大切なもの」
村上さんの許可をいただいて掲載させて頂きます。




「命の次に大切なもの」    村上美保子作


あの日、三月十一日。
大地震の後に大津波警報が出た。


その時俺はすぐに浜に馳せで行ったんだ。船を沖出しするためにな。
漁師が命につぎに大事なものは、船だぁ。まず一番に船を守んねばなんねぇ。
船を守るには、沖に持って行くのが一番だ。
津波は、海の浅いところほど波が大きくなるからなぁ。沖に持っていくのが一番なの
さ。
船さえ守れば、明日からまた漁に出られる。命をつないでいける。


漁師が命のつぎに大事なものは、船よ。
なんつったって船が大事だぁ。




すでに港の波は引き始めていた。
完全に水が引いたら、船は出せない。
俺は焦った。
大急ぎで船を岸壁につないでいる綱をほどいて、全速力で港を出て沖を目指した
んだぁ。


仲間の船も、次々と後に続いてくるのがわかった。
みんな、自分の船を守るのに必死だったんだぁ。


「津波が来たどぉ〜」
「北の方からきたどぉ〜」


船の無線で仲間が津波が来たことを教えてくれた。
あわてて北を見たら大きな波が見えたんだぁ。


いやぁ、五十年も漁師をしてっけんと、あんなおっきな波は見たことねぇ。
それはまるで水でできたビルが覆いかぶさってくるような波だった。
さすがの俺もビビったのよ。どうやってこの波を乗り越えたら良いんだべ。


長年の勘で、まっすぐ波を乗り越えたら、てっぺんに行った時にまっさかさまに落と
されて、船は木っ端みじんになると知っていたからなぁ。
ほんで「みんな、良く聞け。ななめ四十五度に全速力で登って波を突っ切れ。てっぺ
んまで登ったらエンジンを切るんだど。そのままだと波の向こうまで飛んでいくから、
必ずエンジンを切れよ」
と無線で指示したんだ。
中には、まだ経験の浅い若い漁師もいっからやぁ。
ほんで、なんとか第一波は乗りきった。


ほっとする間もなく、第二波が来た。
第二波は小さかったから難なく乗り越えた。

やれやれと思ったら無線から悲鳴のような声が聞こえた
「南を見ろ〜!」
南を見て、俺は言葉を失った。
目に映ったのは、波ではなかったんだぁ。
それはもう波ではなく、水の壁だった。おそろしく高い水の壁だった。
今までこんな波を見たことがない。これはもうどんなに全速力で登っても越えること
はできねぇ・・・・・。


俺は覚悟した。


俺の人生もここまでだ。


その時、いろいろなことが頭の中をよぎった。
俺は一人で笑った


「よく、走馬灯のように思い出すって言うども、あれって本当のことだったんだなぁ」
笑っている場合ではねぇども、なぜか笑えたんだ。


思い出してみたら、俺の人生もまんざらでなかった。いろいろなことがあったども、
まぁいい人生だったと言ってもいいべな。


俺は、自分の体をロープで船に結び付けた。
せめて遺体だけでも見つけてほしかったからなぁ。


それから家族の名前を一人一人呼んだ。孫、娘、息子、息子の嫁。
「ゆうま!さき!ひろと!かずこ!たかお!みちこ!いままでありがとうな!」


そして最後は、やっぱり女房の名前だった
「てつこ!いままでありがとうな!おめぇと一緒になって俺は幸せだった。ありがとう
な。後を頼むど」
そう大声で叫んで、俺は死を覚悟して、水の壁に直角に全速力で突っ込んでいった。




それから、どのぐらい時間がたったんだべ・・・・・。
津波に突っ込んだ瞬間に、俺はその衝撃で気を失っていたらしい。
ふっと気が付いて、あたりを見回すと、そこには今まで見たこともない風景が広がっ
ていた。
まるで泡ぶろのように、海面がまっ白い泡で覆われていた。


「おれは死んだのか・・・・・」


体をつねってみたら、なぜだかわかんねぇども、その時痛くなかったんだ。
「あぁ、やっぱり、俺は死んだんだ。ということは、ここは三途の川ということか」
今までそんな海を見たことねぇから、俺はてっきり死んで三途の川を渡っていると
思ってしまったべ。


ふっと横を見たら仲間の船が見えた。
「あぁ、あいつも一緒に死んだんだな。一緒に三途の川を渡っているんだな」
自分のことを死んだと思っているから、そう思ったのさ。


「大丈夫か?」
無線から仲間の声が聞こえて、初めて、俺は自分が生きているんだとわかった。
それまでずっと俺はあの世にいると思っていた。
体のあちこちを触ってみた


「生きてる・・・・・生きてる・・・・」


あの時の嬉しさは、一生忘れられねぇべな。
ほんでも喜んでばかりいられねがった。
次々と津波が襲ってきたからなぁ。


五波、六波・・・・その間に後ろから引き波が襲ってくる。
引き波が来ると船首を百八十度回転して乗り切り、津波が来るとまた船首を回転し
て乗り切る。


その繰り返しで、どれだけの数の波を乗り切ったか。
無我夢中で乗り切った。


やがてあたりが暗くなってきたころ、津波がだんだん小さくなってきた。
夜の航行は危険なので一晩、海の上にいた。
心細かった。さびしかった。仲間とおたがいに無線で励ましあった。


「夜が明けるまでがんばるべ」


「もう少しだ。がんばれ」
やがて白々と夜が明けてきた。


海の上にはおびただしい瓦礫が浮いていて、おいそれとは港には近づけそうにな
かった。
かまわね。船なんかぼっこれでもいい。
瓦礫をかき分け、時には瓦礫に船をぶつけながら港に急いだ。


「ここは・・・・どこだべ・・・・釣師の港ではないよなぁ・・・・。いや、釣師の港だ・・・・釣師だぁ・・・」


港について、わが目を疑った。
あるはずの家が、町が、すべてなくなっていたからなぁ。
そこにあったのは、泥をかぶった瓦礫だけだった。


俺はなぁ、間違っていた。
漁師が命のつぎに大事なのは船だと思っていた。
ほだがら、いち早く船を沖出しして、命がけで守った。
ほだども・・・・・ほだども・・・・・


帰って来てみたれば、家も家族も流されていた・・・・・。
息子一家は助かったども、女房は流されて十日後に見つかった・・
遺体でな・・・・・。


命のつぎに大事なのは、船なんかでねぇ。
もっと大事なものがあった。


あの時、俺は、なんで家族のそばにいて、家族を守らなかったんだべ。
なんで、なんで・・・・家族を守らねで船なんど守ったんだべ。


釣師浜の漁師は、船を守った。
そのおかげで十艘流されただけで、船は三十六艘も残った。
被災した浜でこんだけ残ったのは釣師浜だけだ。これは奇跡だべ。
俺たちが命がけで船を守ったんだ。
だども船が残って何になる。


原発事故で、魚一匹とることさえゆるされねぇ。
魚を取らねぇ漁師なぞ、もはや、漁師ではねぇ。漁師って言われねぇべ。


おらなぁ、毎日、毎日、女房に手を合わせて謝っていっと。
「かんべんしてけろ。かんべんしてけろ」
毎日、毎日、泣いていっと。悔しくて、悲しくて、苦しくてな・・・・


いつか、時間がたてばすべてを忘れるからと、人は慰めてくれる。
ほだども、俺は忘れねぇ。


命のつぎに大事なものを、俺は間違った。
忘れてしまいたいげんと、忘れねぇ。


忘れてはなんねぇと思っている。


           おわり。

今日一日は穏やかな晴れだそうです。


昨夜半目覚めて手足の痺れが初めて気になって不安で眠れなくなった。しかし痺れ感は強くはなく普段から感じることがあったし、あまり気にも止めていなかった。なぜか昨夜は気になった。ふあんになった。
起きて動き出したら足はいつも通り。手の指だけに違和感がある。
1日早く起きれば昨日整形外科で相談できたのに。


今日は呼吸器の心配で内科に行くので、一応相談する。
家の中でもなるべく歩こう。膝は痛いけれど。外で、シニアカーを降りるとまるで歩けないことがある。お店のカートにつかまれば一回りできるけれど。
花の写真を撮ろうとして足元が悪いとちょっと立ち尽くしてやっと掴まってから一歩踏み出す。足の弱り方が急速にきた。時折恐怖を感じる。
家の中まで車椅子になっては困る。なんとか現状維持を続けたい。運動をサボってはいけない。
しかし、本当に不自由になったら玄関にスロープをつけて貰えばあとはバリアフリーだから、高さの変えられる電動車椅子で暮らせる。そうならない様に頑張るがなった時は対処しようがある。不安を抱かなくても良い。なる様になる。夜中にそう思ってまたよく眠った。本来眠るのは名人なので7時間眠れた。

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