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平成の虚無僧一路の日記

旧東海道は、岐阜を通らない 

2011年09月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「東洋文庫」の『シーボルトの江戸参府紀行』で、
「桑名」の項の解説に「これは、ま違いだろう。
わざわざ桑名に 寄り道するはずがない」という
ような記述があったように記憶している。

JR東海道線は、名古屋から岐阜に向かい、
関が原を通って彦根に向かっている。

「関が原の戦い」も、岐阜、大垣と佐和山(彦根)を
結んでの戦いだったから、「東海道」は「名古屋−
岐阜−大垣−関が原−米原−彦根」と、その解説者は
思いこんでいたようだ。

「東海道・国道1号線」は、名古屋市の南を東西に
走り、三重県の桑名、四日市、亀山から北へ抜けて、
滋賀県の水口、草津、大津へと至る。今の「第二名神」。

私も、名古屋に来て知った。旧東海道は、熱田神宮の
南側「宮の渡し」で 消えていたのだ。

ここからは 海上を桑名まで「七里(28km)」、船で渡る。
東海道 唯一の「海上道路」。

船で4時間。女性はトイレに困る。海が荒れれば船酔い
にもなる。女子供は、悪漢に襲われれば 逃げ場が無い。
怪しげな虚無僧と同船すれば、仇討ちかと不気味だ。
東海道最大の難所だった。

そこで、将軍家光が上洛の折、陸路として「佐屋街道」が
造られたそうな。今、私が住んでいる近くを通っている。
虚無僧にはもってこいの街道だ。

というわけで、東海道を往還した旅人は、名古屋城下の
町並みには、足を踏み入れられなかったようだ。

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