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たかが一人、されど一人

葬儀 

2021年06月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 ごく最近、長年の友人がこの世を去った。それから早くも今日で丁度1ヶ月、自分の身内(特に家内)のことは殆ど忘れたが、友人の遺族から相談を受けたりするので思い出さざるを得ない。中で一番大変だったのが納骨だった。身内の死はいつも突然やってくる。葬儀までは葬儀屋さんのアドバイスを適当に受け入れながら、無我夢中であってもどうにかなる。やがて少し落ち着き、正気が戻り始め、納骨の準備に掛かる頃からが大変だった。詳細は省くが、祖母が「私は身内の葬式を7回出した。」と自慢していたことを思い出し、改めて尊敬してしまう。多分友人の遺族も今大変な思いをしているだろう。お寺さんには、日頃からお布施さえきちんとしていれば問題無いだろうが、友人もそれは無かったようだし、若い遺族に望むのは更に難しい。ましてやコロナ禍にある現在だ。アドバイスを求められても返事の仕方が難しい。古来日本では村八分にされている家であっても、葬儀は別とされていたとのこと。葬儀とはそれほど重要なイベントであり、故人をめぐる社会と人間関係が色濃く反映されるものだからだろう。人間は社会的な生き物で、見た似たようなものと思うととんでもない。個体差でこれほど大きな差がある生き物は珍しいだろう。大学で社会学なるものを専攻して、中に人間生態学なる科目はあったが、葬儀社会学は無かった。あれば、日本だけを研究対象にしても十分学位に値する研究ができるだろう。葬儀は故人の関係者が寄って行われるとしたものだが、多くの場合実に多種多様な人間が参列、関わってくる。遺族は彼らを卒なく迎え、同席させて式を執り行ったりしなければならない。簡単そうで結構厄介だと思う。長々とつまらぬ話を書いてしまった。オリンピックのことに話を変えたい。昨日の国会で野党議員から「開催の意義」を問われた首相の答弁、人類がコロナ禍に打ち勝った証はすでに使用できないことが明らかなので、どう答えるか興味津々だった。一言「オリンピックは世界平和の祭典です」との応え。当然この後ろに質問されていない「だから万全の対策を講じて・・・・」と続いていた。聞いた多くの人がどのように感じたか分からないが、小生は思わず笑ってしまった。同じ委員会に出席していた分科会々長の尾身茂氏は「今の環境下での開催は普通ならありえないでしょう。」と応えている。これでも参らない首相のタフさ。「我々は毎日専門家を交えて協議をしています。」意味が分からなかったが、内閣には感染症対策専門家の会議が幾つあるか知らぬが、少なくと昨日首相が上げた「調査会」なる組織があることは知らなかった。これらの組織も、一度ご破産にして葬儀を出すべきだ。

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