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たかが一人、されど一人

台湾問題(上) 

2022年08月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 福島の原発事故から既に11年を経過、物忘れが激しい我々凡人のことをなめているのかどうか知らぬが、各紙は「首相、次世代原発の建設検討を指示 来夏以降17基再稼働 」と報じている。ショックではあるが急には何を書くべきか思いが至らない。何れエネルギー問題を取り上げてみたい。ここ数日同じように素人には難しい台湾問題問題を考え続けていた。知恵も知識もないボケ老人がいくら考えても文章にはならぬだろうが、今日は思い切って取り組んでみる。台湾には何度か観光旅行はしたが、記憶してるのは台北市のごく一部で、高校生修学旅行の知識にも及ばないだろう。ただ物心がついた頃、自宅にあった世界地図には台湾は朝鮮と同様ピンクに塗られていて日本領土となっていた。もちろん戦後中国に返還されたが、これは朝鮮の独立とかなり異なる。朝鮮は北の金日成と南の里承晩が国を分け合う形になったが、台湾は中華民国に「返還」された形なのだ。更に歴史をたどれば、日本と台湾の関係は朝鮮より古いとは言わぬが、江戸時代に国性爺合戦の芝居(人形浄瑠璃や歌舞伎)が人気になるなど庶民的に親しみがあったのかもしれない。明治維新直後に島津藩西郷兄弟が先ず拘った外国が台湾であったことも頷ける。結果的に、日本は日清戦争の戦利として1895年に台湾を併合した。(因みに朝鮮は日露戦争由来だから1910年)日本側の統治意識も高かったのだろう。日米開戦の指令に参謀本部が各部隊に送った電文が「ニイタカヤマノボレ」で「フジサンノボレ」でなかったことはよく知られている。これも韓国と比較して考えると少し不思議だが、現地台湾の市民も日本統治に恨みを持つ人は少ないようだ。同じ植民地とは言え、戦時中の慰安婦や徴用工が台湾で調達されなかった(少なかった?)理由がよく分からない。そもそも中華民国総統だった蒋介石氏が、終戦直後「怨みに報いるのに徳をもってする」と言って日本軍将兵を厚く遇して国に送り還したことは有名だが、この精神は庶民にも受け入れられていたのかもしれない。しかし台湾の不幸は中華民国の内戦で蒋介石氏が共産党の毛沢東軍に敗れたことから始まる。蒋介石氏は故宮から盗み出した莫大な財宝と共に首都を南京から台北に移さざるを得なかった。蒋介石氏を台湾に追い出した毛沢東一派が、1949年10月北京で中華人民共和国を立ち上げ、1971年10月に国連総会で中国代表権を認められて国際連合に加盟し、追放された中華民国の後任として国際連合安全保障理事会常任理事国となった。(前置きに余計なこと書いた上に纏まらず、乞うご容赦。明日に続きます。)

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