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雑感日記

庭木  雑感 

2022年09月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★三木に移って来てもう50年近くにもなるのだが、 当初から我が家の庭は、戦前に明石の本家に入っていた庭師の方が、 『任せておきなさい』と言われて当時は金も苦しかったので、 庭づくりの費用など一度には払えないので、 ほんとに10年もかけて石造りから造園までやってくれて、 『ある時払いの催促なし』で造られた庭なのである。 ところが樹はなぜか枯れるのである。 実はごく最近も玄関の前の『キャラボク』が枯れた。 当初は柘植の樹の前に植えられていたのだが、 柘植が枯れてしまったので私が勝手に『みかんと柚子』を植えている。    その前に植えられていた『キャラボク』が枯れたので、 今日、そこに『シダ』を植えたのである。 植物にも格があるとすれば、全然違うのだが、 『まあいいか』と思っている。  『花の咲く樹はもう一つだ』などと言って、 庭の核となる場所には 『柘植』や『マキ』なの『花の咲かない樹』が植えられていて 『五葉の松』など樹齢100年もするのではと思われる  こんな盆栽風の松があったのだが、これも枯れてしまった。    別に何もしないのだが、生命のあるものには死もあるのは  樹木も人間も同じだから仕方がない。★ そんなことで、かっては『風格』が感じられた この一画も今では『薔薇』や『サクランボ』などになってしまって、  反対側から見ると 角に植えられた『マキ』が枯れずに残っているので、 周囲の石積みとも何とかマッチしているのである。 ★ こんな剪定が必要な昔の庭も、今どきはお呼びでないのだろう。 庭木は『大きくしない』ようにしないと 大きくしてしまうと『庭の形が変わってしまう』 そんなことを言ってみても、庭に時間を掛けれるのは 私のような『時間がいっぱいある』高齢者でないと無理かなと思う。 この庭も、私がいなくなってしまったら、 『どんなことになるのだろう?』 と思ったりするのだが、『まあ、なるようになるのだろう』と思ったりしている。 今回、『キャラ』の後に『シダ』を植えたのも、 『シダ』なら放っておいても大きくならないし、手入れが要らないと思ったからである。  ★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。

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