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13代成務と14代仲哀天皇2 

2022年09月28日 外部ブログ記事
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?13代成務と14代仲哀天皇2
?神功皇后新羅遠征
 ☆神功皇后が多くの船を並べて海へ乗り出す
 *船は波に乗ってたちまち新羅の国に着いた
 *皇后の軍は内陸にまで攻め込んだ
 ☆新羅の国王は怖れをなして神功皇后に伝える *天皇の命令に従います、貢物を差し上げてお仕えいします ☆神功皇后は、新維の国を馬飼である御馬甘(みまかい)と定めた
 *隣国の百済の国を渡屯家(わたのみやけ)と定めた *皇后は、新羅の国に杖を突き立て、領有したことを明らかにした *住吉神社の三柱の荒御魂を、この国を守る神として祀った
 ☆新羅遠征の仕事が終わらないうちに
 *皇后の身ごもっている子が生まれそうになった
 *皇后は、出産を抑えながら海を渡って筑紫国に戻ってきた *皇后はオオトモワケを生んだ
?神功皇后、筑紫から大和ヘ
 ☆神功皇后は、大和へ帰るべく筑紫から難波ヘ向けて船を進めた ☆皇后は留守を預けている大和の人々の心が疑わしく思えてくる *もしや、反逆の心を抱いているのでは ☆皇后は、棺を載せる船を1隻用意した
 *その船に幼い皇子を乗せ、皆の者にこう言い触らさせた *「御子はすでにお亡くなりになった」と *1行は難波へ船を進めた
 ☆大和では、カゴサカ、オシクマ兄弟が、皇后を討とうと画策していた
 *仲哀天皇が別の妻との間にもうけた皇子オオトモワケの異母兄
 *皇位継承をめぐる争いが起きた
 ☆彼らは、自分たちの目論見の成否・吉凶を占う「誓約狩り」をした
 *狩りを行なって神意をうかがう占いで、結果は凶と出た ☆弟のオシクマはその凶兆を恐れることもなく軍を起こした
 *皇后軍を待ち受け、攻撃を開始した *しかし、オシクマ軍は、皇后の仕掛けた罠(棺船の罠)に引っかかった *皇后軍船から下りるや1気に進攻し、オシクマ軍を窮地に陥れた *オシクマ軍は山城に入り込むと立ち直り、双方攻防を繰り返した ☆神功皇后のタケフルクマ将軍は一計を案ずる *「皇后はすでに亡くなられた。戦う理由はない」と言い触らさせた
 *弓の弦を切って偽りの降伏をした *オシクマ軍の将軍、それを信じ軍勢に弓の弦を外させた *タケフルクマ将軍は喜び、兵士に弓の弦を取り出させた
 *それを弓に張り、矢をつがえて射ちまくった
 *逃げるオシクマ軍を琵琶湖の西迄追撃し全減させた
?皇子の禊と成人儀式
 ☆皇位継承をめぐる争いに決着をつけたタケシウチ
 *幼い皇子オオトモワケを連れ、政のために近江、福井県南西部を巡歴した ☆皇子の穢れれを祓う必要があった *皇子は喪船に乗せられ、死んだと伝えられた
 *つまり死人に見立てられていた *死や死者は穢れとされ、忌み嫌われている
 *皇子は、死人に見立てられたので、禊が必要となる
 *その行事を行なう場所を求め福井県中・北部まできたとき
 *そこに仮宮をつくって皇子を住まわせた禊の行事を行なった
 ☆皇子は、禊のあと神の名を自分の名にした
 *祖神から名を与えられたことで、成人式儀礼といわれている *成人式儀礼のあと、皇子が都(大和)へ帰ってくる
 *母の神功皇后は息子を祝福し待酒をつくって差し出した
 ☆神功皇后は百歳で亡くなった
                      (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『眠れないほど面白い古事記』



13代成務と14代仲哀天皇2
(ネットより画像引用)

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