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阿波の局のブログ
〈いのちの賛歌 心に刻む一節〉 テーマ:生死と向き合う 抜粋
2022年11月15日
テーマ:テーマ無し
🌸 御文妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがえる義なり。(法華経題目抄、新541・全947)🌼 通解妙とは蘇生の意味である。蘇生とは、よみがえるということである。🌟 生きる意味を見いだす家族を失う悲哀の淵で? 平尾純子さん(67)結婚7年目の1992年(平成4年)秋、妊娠が分かった。喜びもつかの間、翌年の出産の日、子どもは産声を上げなかった。夫の手を握り、一晩中、泣いた。? 流産を繰り返して、ようやく授かった子だった30歳で結婚。夫の失業も夫婦で祈りを合わせて乗り越え、夫は再就職を果たした。妊娠が判明したのは、そうした時だった。? 出産前の検査で、医師から「胎児の肺に水がたまっている」と言われた頭の中が真っ白になった。大学病院で出産。生まれたばかりのわが子は、顔を見ることもできず、数時間後、亡くなった? あの時のつらさは、どう表現したらいいのか…一緒に泣いてくれる夫の存在が、心の支えになった。? 2年後、いくらか心の穏やかさを取り戻した頃夫が出張先のホテルで急に倒れ救急車で運ばれたと、同僚からの電話すぐに行ける距離ではない。平尾さんは御本尊の前に座り、懸命に祈った。? 数十分後、再び電話が。夫の搬送先の病院から「ご主人はたった今、お亡くなりになりました」あまりに突然の出来事。受話器を握り、立ち尽くした。子どもに続き、支えだった夫まで……。絶望の底に突き落とされたようだった? 無言で帰宅した夫自らが生きる意味すら失われたように思えた。葬儀から程なく婦人部(当時)の先輩が「御宝前に」きれいな白百合を持ってきてくれた。何げない温かさが心に染みて、せきを切ったように涙があふれた。? そんなに泣いていたら、ご主人が悲しむわよ。あなたが広布に生きる姿が、ご主人の成仏の証しになるんだから? “そうだ! 亡くなった夫のためにも、広布の使命に生き抜こう”。心に希望の灯がともった。平尾さんは、しんしんと題目を唱え始めた。? その中でひもといた御聖訓「妙とは蘇生の義なり」(新541・全947)自分の命の中に横たわる悲哀を乗り越えたい縮こまった自らの生命を、蘇生させたい。境涯を開きたい。祈りの時を重ねる中で、本当に少しずつ、力が湧くのを感じた? 夫が霊山に旅立ってから5年後。池田先生に手紙を書いた。広布に生き抜く誓いを、師匠に届けたかった。すぐに先生から激励が届いた。“こんな私のことまで、励ましてくださるなんて”。感謝と報恩の思いが込み上げた時、命を覆っていたものが、すっと消えていった。心が定まった。? 婦人部の中心者として広布に駆け、悩む友に寄り添い続けたいつしか、自身が“励ます側”の生き方を貫けるように。信心のおかげで、思いもよらない境涯を開けた? 絶望の淵に沈んでいた時は、宿命を使命に変えることなど、想像もできなかった信心に徹し抜いた先に、『私だからこそ励ませる人がいる』という使命を見いだすことができた夫も短い生涯だったが、“共に広布の使命を果たしている”と命の底から確信できた? 同じ悩みを抱える友に、自らの体験を通して励まし、“蘇生”の軌道に導いていく―学会員として生きる中で、自らの人生が“蘇生”していることを、強く実感できるまでになっていた。広布に尽くすことが、「生きる意味」になった夫・正一さんと朗らかに前を向く? 11年前、新しい人生への転機を迎える。宿命を使命に変えて広布に戦ってきた人との出会い。現在の夫・正一さん? 悲哀に屈せず、信心根本に師弟の道を真っすぐ歩んできた人。亡くした家族の分まで、人生の総仕上げを一緒にと共戦の歩みを重ねる。? 私の半生は、波乱の連続信心を貫いてきたからこそ、苦悩の日々を越えて、心から感謝できる境涯を開くことができた日蓮大聖人が示された「よみがえる義なり」(新541・全947)? 絶望の淵に立たされても、そこから再び、勇気と希望を力強く湧かせ、わが人生を大いに輝かせる―平尾さんの歩んできた日々には、“負けない”哲学の真髄が光っていた。? 池田先生は語っている。
「南無妙法蓮華経と唱え、地涌の菩薩の満々たる生命が、仏の大生命が涌現する。いかなる苦難、困難の障壁も乗り越える智慧が、勇気が、力が、希望が、歓喜が、わが生命にみなぎる。そして、『宿命』の嵐を敢然と勝ち越えることで、仏法の正義と偉大なる功力を証明し、広宣流布を進めていくことができるのである。いな、そのためにこそ、勇んで苦悩を担ってきたのだ。つまり、『宿命』と『使命』とは表裏であり、『宿命』は、そのまま、その人固有の尊き『使命』となる。ならば、広布に生き抜く時、転換できぬ『宿命』など絶対にない」(池田大作先生の指導選集〈上〉『幸福への指針』)? 一生涯、広布に尽くし抜き、幸せになった姿で、仏法の偉大さを証明する人生を送りたい。そう決意しています。縁した全ての方々への、恩返しになると信じて[教学コンパス]新型コロナ対策のため、社会のあらゆる分野でリモート中心の環境が継続してきた。感染防止だけを考えれば「人と会わないこと」以上の対策はない。他方、社会生活を営む私たちは、人と会う機会を完全に絶つわけにもいかない。コロナ禍の中で向き合ってきた葛藤平尾さんが悲哀の淵で支えとしたのは、励ましに訪れた先輩同志のぬくもり真心で支えてくれる同志と、時と場を共有する経験が、命を奮い立たせる縁になった。直接、膝を突き合わせて語らうことで、リモートでは得がたい、五体で感じる歓喜が生まれる。リモート環境で心震える感動が共有できないわけではない。しかしそれは、直接、相手と結んだ「信頼の絆」という土台があってこそ。仏の尊称(十号)の一つは「如来」。如如として来る―まさに「今この瞬間」の眼前に現れる、生命の躍動を示している躍動する「今この瞬間」の生命と生命の出会いによってこそ、胸を打つドラマは紡がれる
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