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ヒロシマから78年____朝日新聞の取材を受けました 

2023年08月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今日は朝日新聞の方の取材を受けました。飛行機工場の少女達という文集を、ネットで朗読する仲間の1人としての取材でした。


昨夜YouTubeで見た中で1番好きな花火
今日はヒロシマの日。戦争を語らなくっちゃ。


朝日新聞の記者さんが取材に見えました。
飛行機工場の少女達を朗読している1人として。


78年前、日本各地に、アメリカのB29という4つのエンジンを持つでっかい爆撃機が一糸乱れぬ見事な編隊を組んで押し寄せ。焼夷弾と爆弾をばら撒きました。
迎撃する飛行機は日本にはもうほぼ無いし、10000メートル上空から入ってくるので高射砲が届くわけもない。悠然と編隊を組んだまま、好き勝手に町を焼き尽くしてゆきました。
1発の焼夷弾は上空で38発に分かれて尻尾のリボンに脅しの為の?(導火線ではない)火がついて降ってきます。ザラザラと不気味な音を立てる火の雨となって。
何千発も落とすのに、1発が、38発に分かれて飛び散るのですから下にいる者は逃げようも無い。
なのに空襲警報が鳴ったら防空壕に入っていろという国の命令です。防空壕にもし屋根があったとしても同級生のお父さんは屋根のある防空壕で不発弾の直撃で死にました。
穴に潜らずさっさと逃げていたら全員無事だったはずなのに。
細かい家が建て込んで、庭の狭い地域で縁の下に掘った防空壕に入っていて家に焼夷弾一つ落ちたら、逃げる隙なく蒸し焼きです。
命令なんか聞いちゃいられません。
まずは爆撃機を睨んで、危ないと感じたら逃げる。そうおもっていました。
バケツリレーで消せる焼夷弾では無いと、その頃には勘づいていました。小さな防火用水で、はたきみたいな火叩きを濡らして、逃げないで火を消せ。アホらしくて、そんな江戸火消しの道具なんか使った人はいないと思います。政府はどこまで馬鹿だったのか。無駄な命令でいらんもの買わされました。鳶口も。江戸火消しの道具一式買わされたのです。使った人は無かったはず。軍部は愚か者の集まりでした。


黒煙に追われて、1度3キロ先の広っぱまで逃げたことがありました。周りを見回したら360度どっちを見ても赤い空でした。遠かったけれど。
翌朝家に戻ってみたら焼け残っていました。でもまたいずれ焼かれるだろうから嬉しいとも思いませんでした。
お米の配給も遅れがちで、脂を絞った大豆粕や酷いものがお米の代わりでした。
戦後のインフレの中で、ヤミ食料を買うお金もなくひもじかった日々。当時14歳だった私の背丈は146cmで止まってしまいました。ガリガリに痩せて39キロ無かったほど。
戦争への恨みは、真面目で、狡いことの出来ない国民を栄養失調にさせた事です。腹一杯食べてたやつもいる中でね。
戦争とはごく一部の悪を儲けさせ国民を飢えに晒す最も悪質なものだと私は思いました。育ち盛りに食べ物が無かった怨みは忘れません。
午後の空は千変万化でした。

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