メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

信心とは? 

2011年11月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



受験で「天神様に願かけに行く」というと、
A子さんが「私はそんなの信じないわ」と。

たしかに、お賽銭を入れて、二礼二柏手一礼
しただけで、すべてが、思い通りに叶うとは
誰も思っていない。それでも神社にお参りする
人が絶えないのはナゼだろう。

服部宮司の「祝詞(のりと)」の中に、その
ヒントがあった。「試験に臨み、心落ち着け、
筆を誤(あやま)ることのないよう」と。
なるほど、神社に祈願したことで、試験に
臨む心構えが座る。心落ち着けて問題を解けば、
ポカミスをすることがない。

そして「祝詞」では、「ひたすら慈しみ育てた
わが子を思う親心に、神も感じられ」という
ような文言があった。

子供のことを一心に思って、子供のために
神社にお参りし、なにがしかの「玉串料」を
捧げる。そのことで、子供も「頑張って勉強
しよう、親の期待に応えよう」という心が
湧いてくる。

「神社にお参りしたから、もう大丈夫」と
勉強も努力もしない人なんか いないはずだ。

さてさて、「神の加護」「神仏のご利益」に
期待する気持ちも無いわけではない。
「偶々勉強していたところが出題された」とか、
「どっちか判らなかったが、一かバチか選んだ
方が正解だった」というようなことは確かにある。

それが「神仏のおかげと」思えるかどうかが、
その人の信心か。

すべてを「神仏のおかげ」と素直に喜べる人は
日頃の生活も幸せに見えると 私は思うのだが。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ