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雑感日記

私の日記   1954(昭和29年) 

2023年10月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★ 私の日記・1954(昭和30年)は大学3回生である。 前年の11月に突然肺浸潤の宣告を受け、そんなことから日記を書くようにもなったのだが、この年からは当然だが日記帳に書いている。     世は吉田茂内閣時代で、不景気で就職難の時代である。  学生たちは勉強して優の数を一つでも多く取ろうとするのだが、  これはひとえに就職に有利になるようにということなのである。  どうもそんなことがイヤで、私は逆に勉強はしなくなってしまった。  そんなこともあって、この年の日記は『野球のこと』ばかり書いている。★ この時期には兵庫県では高校のOBチームの大会が新年早々甲子園球場で行われている。 先ずはこの大会で明石高校と芦屋高が優勝を争い、見事明石が優勝を飾っている。 そんな写真が日記帳に貼ってある。 残念ながら『肺浸潤』になったところだったので、 この時期は大人しく寝ていたので、 現場に行っていないし、チームにも参加していない。    2月にはこの頃は巨人が明石球場で練習してたので、よく見に行っている。 川上・別所・千葉・宇野の時代で、広岡が新人で巨人に入団した年である。 新人ながら広岡の守備は見事だった。 この年の前半6月までは『肺浸潤』のこともあって大人しくしていたのだが、 病状は安定して落ち着いていた。 7月になって9か月ぶりにユニホームを着て、大学の練習にも参加するようになった。 加えて、こちらは準硬式のアマチュア野球だが明石高校のOBチームに参加して草野球を楽しんでいる。 明石高のOBばかりだから当たり前だが強くて、いろんな大会に優勝している。 9月の秋のリーグ戦に備えた合宿にも参加し、 3回生だったのだが秋からのキャプテンにも選ばれて、 秋のリーグ戦はベンチでの指揮を任されるのだが、 10月19日にはショートで復帰している。 これが秋のリーグ戦の予想だが、春には5位に終わった神商大だが、 記事には『古谷のカムバックで』内野陣がまとまり、 打力も上がってと2位を狙う位置にあると書いてもらっている。   結果は3位で終わるのだが、  リーグ戦が終っても、明石高校のOB野球にはずっと参加していて、  11月には神戸2中OBとの試合も14−5で圧勝し、この試合では5打数3安打と記録にあった。  神戸2中も明石高校もその時代の甲子園出場チームで、  そのOB戦は、そんな甲子園球児がメンバーなので、  そこそこの野球を展開していたのである。  明石OBは私と同期の完全試合投手の溝畑が主として投げていたし、  翌年の兵庫県OB大会の予想も『優勝候補』として  新聞にこんな記事が載ったりしていたのである。    メンバーは慶応で朝日スポーツ賞を取った山本治投手や 日生の大津・国賀・西村など錚々たるメンバーで、 このメンバーなら当時の日本の実業団チームでも優勝候補になるかも知れないほどのメンバーが揃っていたのである。 そんな大学3回生・21歳の私の1年は『後半は野球漬け』だったと言っていい。 この時期肝心の『肺浸潤』のほうは経緯は良好で落ち着いていたのである。 そんな1954年だった、 日記を読み返してみると、 ほんとに忘れてしまっていることが多いのに驚いた。★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです。

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