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雑感日記
私の日記から 1957(昭和32年)
2023年10月21日
テーマ:テーマ無し
★1957年(昭和32年)は大学を卒業し川崎航空機に入社した社会人1年生の年である。この年は1月19日に大学野球部主催のダンスパーテイー開催からその幕が開いたと言っていい。人生でいろんなイベントを主催してきたが、これが私の初めてのイベントだったのである。 パーテイー券もデザイナーに頼んで、結構立派なモノだった。 ダンスパーティーをやった目的は単純で、後援して頂いている運動具店への借金返済が目的だったのである。 ダンスパーテーでの収入目標額は10万円で、初任給が1万円ぐらいの時代だから、現在に直したら200万円ぐらいになるのだろう。200万円は売上高ではなくて『利益目標額』だから、その規模の大きさはお解り頂けると思う。当時の学生が主催するダンスパーティーは大体200名ぐらいだったのだが、最初からその10倍ぐらいの規模での開催だったのである。新しくスタートしたばかりの神戸国際会館の大会議場を借り切って、2000枚のパーテイー券を販売することで部員一同頑張ったのである。 これがその収支だが、 目標の10万円の収入を達成して、話題にもなったし、大成功の催しだった。 当時、私は結構ダンスにも凝っていて、明石のダンスレッスン場で教師の真似事などやってたので、私個人で300枚近く販売しているのである。今思い返してみると、結構な大仕事だったと思うのだが、よくやり切ったものだと思うし、当時の部員たちの協力・努力も相当なモノだった。お陰様で野球部の運動具店への借金も綺麗にして卒業出来たのである。★ この年は『神武以来の』というのが流行語になった神武景気の年で、 川崎航空機工業の明石工場だけでも30名ほどの新入社員を採用したのである。 そんなことで我々の同期会の名称は『神武会』なのである。 工場付近もまだこんな時代で いまの西明石駅は、山陽本線ではなくて川崎航空機の明石工場に行くために、 戦前に作られた支線の時代だったのである。 戦前の明石工場は10万人もの従業員がいたというので、 大変な規模だったのである。 勿論、飛行機を作っていたのだが、 川崎航空機があったために明石は大空襲にあったのである。★ 私は明石の生まれで、本籍も今でも明石だし、高校も明石だが、 川崎航空機にはいろいろとご縁がって、入社することになるのだが、 その最初の配属先は業務部財産課だった。 まだ大学卒は少ない時代で、そんな課に初の大学卒として配属されたのである。 どちらかというと地味な課で、そんな課に大卒が配属されたこと自体が注目された様だった。 先輩たちの言は一様に『地味な課でオモシロくない』と仰るのである。 財産課とは財産物件の管理をするところで、 当時の金で1万円以上のものが通常財産物件になるのである。 財産物件の項目には土地・建物・機械装置・車両運搬具・工具器具備品などの項目があるのだが、 私は入社早々車両運搬具と工具器具備品の担当となったのである。 車両運搬具とは4輪・2輪は勿論、自転車なども入るのだが、 当時は4輪・2輪などは少なくて、自転車が台数的には主体だったし、 工具器具備品というのは文字通り工具だとか、棚などを言うのだが、 当時新設したばかりのジェットエンジン工場は新規事業ということで、 特別に300円以上が財産物件になるので、机も椅子も300円以上のものはすべてが財産物件に計上されていたのである。 当時の会社は再スタートしたばかりで、財産台帳など皆無というような状況で、 極端に言うと『会社の体を成していない』ような状態だったと言っていい。私の担当した車両運搬具は、自転車が結構大量にあってそのパンク修理が毎日発生するし、椅子も当時は木製の回転椅子で、壊れて修理に出すのがトラックに満載されるほどで、信じられないかも知れぬが、そんな修理作業が毎日あって大変な時代だったのである。 そんな仕事が最初は大半だったが『オモシロくない』などと思ったことは一度もなく、結構楽しんでやっていた。 末端の現場の人と話をする機会が多く、 つまらぬ修理のことだが、当方は『頼まれる』ほうだから、 ちゃんと早くやると喜んでくれるのである。 当時は野球やソフトボールが盛んで、社内大会もしょっちゅうあって、 そこでは中心の人気選手だったから、新人ながらすぐに『顔は売れた』のである。 ★ 財産物件の償却計算というのが毎期あるのだが、 その計算はタイガー計算機を使っての手動計算なのである。 この計算は当たり前の話だが、 財産物件の金額ではなくて、件数のほうが手間が掛かるので、 そう言う意味では件数の多い『工具器具備品』が圧倒的に作業量が多くて、 決算期には大変だったのである。 そんな新入社員時代の半年ぐらいだったが、 私は1年目からこれらの問題の解決諸対策に当たって、 財産課には3年ほどいたのだが、その間にすべての問題の対策をしてしまったと言えるほど積極的に動いたのである。 例を一つ上げるなら、例えば椅子は壊れない金属製の『ネコスの椅子の採用』を提言し、翌年の2月にその採用が決まっている。 この椅子を一斉に換えるわけにはいかないのだが、 配布の順番の決定権は入社早々の新人の私にあって、 なかなか面白かったのである。 そういう意味では、めちゃオモシロかった3年間だったのである。★ 入社が4月1日で、配属されたのが4月15日で、 財産課の隣が勤労の給与計算係で女子社員がいっぱいいたのだが、 ?4月19日の日記には勤労の女の子の記述があるのだが、それが今の家内なのである。 その時点では見てただけで、それ以外は何もなかったのだが、 6月5日の日記に、私の大学時代の親友の小野田からの電話が勤労の電話に掛って、 「小野田さんという方から電話です」とわざわざ伝えに来てくれたのが家内なのである。 その時は、ただそれだけのことだが、日記に書いているということは、 それなりの関心があったのだろうと思う。 家内と付き合いだしたの翌年のことなので、この年にはそれ以上のことにはならないのだが、 神戸高校(神戸1中)出身だということが、この年の11月にはじめて、言葉を交わして解ったのである。★入社1年目は、ざっとこんなことなのだが、 野球部に入ってすぐにキャプテンなど仰せつかったものだから、 結構、社内では名も売れて、自分で言うのもおかしいが、 人気だけは悪くなかったように思うのである。
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