筆さんぽ

気味の悪い動物たち 

2024年03月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:筆さんぽ

信号機のない横断歩道で歩行者が渡ろうとしていても9割以上の車が一時停止しないことが日本自動車連盟(JAF)の全国調査でわかった、というニュースを読んだ。

散歩道に、信号機のない横断歩道がある。たまたま一緒になった老婦人と横断歩道を渡ろうとした。
 
司馬遼太郎は『胡蝶の夢』のなかで言う。
「人間は、本来、猛獣かひどく気味の悪い動物だったかもしれんと、いった。そのくせ人間は虎のように一頭で生きるのではなく、群居しなければ生きてゆけない動物なのである。

群居するにはお互いに食い合っては種が絶滅するから食い合わないための道徳というものができた。道徳には権威が要るから、道徳の言い出し兵衛に権威をつけ、いやがうえにもその賢者を持ちあげてひろめた」

老婦人と横断歩道を渡ろうとしたが、クルマは私たちを無視して、アクセルを踏み込むようにして通り過ぎてゆく。何台も何台も。

老婦人は、「みんな忙しいのねぇ」と、ひとりごとのようにつぶやく。ドライバーはなんと「気味の悪い動物」なのだろう。ぼくには、クルマの中の人間が「クルマに魂をわたした人間」に見えた。ナビに止まれと指示がないと止まれない、自分で考えることのできない人間である。だから、道徳があると、『胡蝶の夢』では言う。

ここでいう道徳のひとつに法律がある。道路交通法38条では、(教習で習ったと思うが罰則は忘れてた)「クルマは、横断歩道を歩行者が渡ろうとしている場合は、一時停止しなければならない」とし、違反した場合は、「3月以下の懲役又は5万円以下の罰金に処する(119条)」と罰則まである。 
 猛獣に法律は通じない。
 
さらにこう言う。
「しかし、道徳だけでは、事足りない。人間の精神は、傷つけられやすく出来ている。相手を無用に傷つけないために、礼儀正しい言葉使いやしぐさが発達した。

人間にとって日常とは何か。仕事でも学問でもお役目でもなく、それぞれの条件のもとで快適に生きたい、ということが、基底になっている。仕事、学問、お役目はその基底の上に乗っかっているもので、基底ではない」

 老婦人と横断歩道を渡ろうとしている。やがて、私たちの前で、シンプルな軽ミニバンが一台止まってくれた。老婦人はクルマの青年に、ていねいにお辞儀をして、ぼくに「さあ、渡りましょう」と会釈して、静かに渡りはじめた。ぼくもクルマに軽く頭を下げて、老婦人につづいた。クルマの青年も、老婦人もぼくも、ぐあいがよくてこころよい。

老婦人も止まってくれた青年も「快適で美しい日常」を過ごしているのだろう。青年が凛々しく働く姿が、老婦人の幸せなご家庭が目に浮かぶ。



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